男子以上に厚い九州勢の壁を破った歴史的勝利・市立橘高校(2002年 玉竜旗大会)

男子以上に厚い九州勢の壁を破った歴史的勝利・市立橘高校(2002年 玉竜旗大会)
決勝で奥村(背中)が山本にメンを決める 写真提供=剣道日本
名勝負物語

「こんな大それたことを」と監督自ら話した快進撃

玉竜旗大会で女子の団体戦が始まったのは昭和47年だが、当初から男子以上に九州勢の強さが際立っていた。

昭和57年に男子の玉竜旗を初めて九州以外のチームが制したが、女子はその後も長い間九州勢が優勝を独占していた。

平成13年までに九州勢以外で決勝に進んだのはPL学園、西大寺(2回)、左沢(2回)の3チームのみで、いずれも優勝はならず。本州の強豪が九州の厚い壁に跳ね返されてきた。

平成14年、ついにその壁を破ったのが神奈川の川崎市立橘高校である。

すでにインターハイの常連となってはいたものの、入賞まではあと一歩という結果が続いていたが、この年、力のある大将奥村美里を中心に全員3年生で組んだチームはよくまとまっており、春の全国選抜大会でベスト4となっている。

とはいえ玉竜旗での快挙はやはり予想外だった。準々決勝、橘は女王阿蘇(熊本)と対戦した。当時の阿蘇は玉竜旗の優勝からはやや遠ざかっていたものの、この年までインターハイ団体4連覇を果たしている。

この試合も阿蘇が序盤でリードを奪い、3試合連続引き分けのあと、橘の大将奥村美里と阿蘇の副将野崎由香里が対戦。

奥村は野崎からひきゴテを奪い一本勝ちをおさめ、続く大将の谷芙美に対しては、序盤にメンを決めると、メンを返されても攻勢を保ち、最後は谷のメンにメンを合わせ勝負を決めた。

阿蘇が玉竜旗大会で九州以外のチームに敗れたのは実に15年ぶり、3位以上の入賞を逃したのは7年ぶりのことだった。

勢いに乗る橘は準決勝で西陵(長崎)と対戦。中堅同士が引き分けたところまでは互角だったが、橘の副将北沢莉帆が相手の副将、大将を連破してついに橘が決勝に進む。

決勝は3年ぶり2度目の優勝をめざす八代白百合(熊本)との対戦となった。

八代白百合の次鋒には2年生ながら力のある石突小百合(後に全日本女子選手権で2回優勝)がいた。

先鋒同士が引き分けのあと、石突に葛西真由美が敗北を喫するが、中堅雪山智美が石突と引き分け。続く試合も引き分けて、奥村は副将の嶽本都との対戦となった。

メン一本で獄本を沈めた奥村は大将山本華奈子を迎える。互いに慎重な戦いぶりが目につきだしたころ、「分かれ」がかかったところから両者がメンに。奥山の捨てきったメンに軍配が上がる。

奥山はそのまま山本の反撃をしのぎきり、ついに橘が頂点に立った。

「こんな大それたことをしてしまっていいのかと、私もびっくりしています」

というコメントを山崎輝美監督が残している。まさに歴史的勝利だった。