大会スケジュール
3月 [table id=114 column_widths=”40%|20%|25%|5%|10%”/] 4月 [table id=115 column_widths=”40%|20…
3月 [table id=114 column_widths=”40%|20%|25%|5%|10%”/] 4月 [table id=115 column_widths=”40%|20…
この大会を30年以上も見続けてきた 第114回全日本剣道演武大会が終了した。剣道の立合は全部で1450組あまり(申込数)。最終日、教士八段以上の番組の中から、印象に残った立合を精選して紹介したい。 この大会の立合について…
毎年GWに開かれる剣道の祭りが今年も開幕した。 5月2日の初日は各種形の部で幕を開け、なぎなた、杖道、居合道の部の演武が行なわれた。 3日は剣道の部が開幕、錬士六段以上の立合が始まった。 5日の最終日に行なわれる教士八段…
20世紀最後の全日本選手権 栄花直輝が全日本選手権で優勝を果たすのは9回目の出場のときで、これは西川清紀と並ぶ遅い記録だった。 平成4年に25歳で初出場、7年に初のベスト8、9年に初の3位と順調に戦績を上げて行った。 ま…
大会で10年ぶりに生まれた20代の優勝者 昭和59年から全日本選手権には「六段以上」の出場資格制限が設けられた。 あまりに勝負に走った「当てっこ剣道」が横行しているからという高段者の意見に沿ったものだったが、それによって…
北海道が21年ぶりの優勝を果たす 本大会がまだ5人制だった平成6年、7年、9年の3回に渡って北海道は優勝しており、この時期黄金期を迎えている。 その当時も出場していた栄花直輝が大将をつとめ、当時主に大将をつとめた古川和男…
3連覇は、当時大きな話題になり、今も輝きを失っていない 第二次世界大戦中、戦後の剣道禁止時期、玉竜旗大会(当時は大会の名称が異なる)には中断があったが、中断前の最後の大会となった昭和17年、戦後復活第1回の昭和30年とも…
昭和61年の玉竜旗大会(男子)は、PL学園(大阪)が2年生大将鍋山隆弘の活躍で2度目の優勝。翌年も鍋山を軸に連覇を狙った。 決勝で相対したのは、前年のインターハイ男子決勝でPL学園を下し、女子団体をも制してアベック優勝を…
昭和47年にインターハイ男子団体で初優勝し、計7回優勝を果たしている大阪のPL学園 とくに昭和50年代は八代東(熊本)と並ぶ高校剣道の二強というべき存在だった。 そのPL学園をもってしても九州勢の牙城は高く、最初に玉竜旗…
抜き勝負で行なわれる玉竜旗の醍醐味は、どんなに劣勢でも大将1人で抜き返せる可能性があること これまで男子の決勝で大将が4人を抜いて逆転優勝したという記録が4度ある。 平成25年、37年ぶり4度目の4人抜きを果たしたのが福…