26歳での初優勝の陰に、日々積み重ねてきた努力があった
2005年に全日本選手権大会初出場を果たした内村良一は、警視庁の先輩原田悟に決勝で敗れたものの2位という見事な結果を残した。
しかし残ったのは悔しさだったという。
内村良一が中学時代、九州学院高校の米田敏郎監督に「日本一になるにはどうすればいいですか」と尋ねたことはよく知られている。
平成10年にはインターハイで個人・団体ともに頂点に立ち、明治大学でも団体日本一となっている。しかし、内村は警視庁に入ってからも真の日本一への努力を日々怠らなかった。
2006年の大会では3回戦で寺本将司(大阪府警)を下し、準々決勝では高坂雄介(静岡県警)を撃破。
準決勝では外山浩規(愛知県警)に豪快な面を浴びるも、小手で追いつくと、ひき面で逆転を果たす。
決勝は米屋勇一(埼玉県警)、髙鍋進(神奈川県警)ら有力選手を連覇して決勝に進んだ古澤庸臣(熊本県警)との対戦となった。
早い段階で古澤の動きが止まったところに面を奪った内村は、その後も攻撃の手を緩めることなく試合を終え、ついに頂点に立った。
試合後は
「まだまだ強い方はいっぱいおられるので、明日から初心に戻って稽古に励みます」
というコメントを残した内村。
誰もが認める努力の人が26歳で夢を結実させた。
26歳という年齢は通算最多優勝記録を持つ宮崎正裕の初優勝(27歳)よりも若く、この時点では昭和55年の外山光利以来のことだった。
そしてその後内村は平成21年、25年と全日本選手権優勝を重ねていった。
3回の優勝は、宮崎正裕(6回)、千葉仁、西川清紀に続く史上4人目の金字塔である。また2位が4回というのも凄い記録で、これは過去最高となっている。
世界選手権大会でも中心選手として長く活躍した内村はまさに平成後期の「鉄人」である。
今後さらに記録を伸ばす可能性も充分にあるだろう(記録は平成29年度の全日本選手権までの時点)。