観衆が惜しみなく拍手を送った最後の数番。かつての空気が戻ってきた
段位制度が改正されて九段、十段が生まれなくなったのは2000年のことで、それから間もなく20年になろうとしている。かつては九段や十段の剣士がいたことを知らない人も少なくないだろう。
九段の立合がなくなってしばらく経ち、教士八段と範士八段の間にあった範士七段の立合も近年になって消滅した。範士八段の部は、現行の制度になってから範士となった剣士が大部分を占めるようになっている。
かつては最後にあった何組かの範士九段の立合を、武徳殿を埋める人々が固唾を飲んで見守った。九段の立合が近づくにつれ徐々に場内の空気が高まり、最高潮の中で大会のフィナーレを迎えた。
制度が変わって20年近くが過ぎた今年、かつてあったそんな雰囲気が少し戻ってきたような気がした。最後から数えて6組目から、立合が終わるたびに拍手が送られた。それは現行の制度が定着したということでもあるのだが……。
20年、30年前にはたとえば片手技を使う、左右へ動いて打つなど、もっと多様な剣風が見られた。現在はその頃に比べれば同じような剣風の剣士が多い。最後の2組をのぞいてほとんどの範士が(戦前、戦中の生まれであっても)戦後に剣道を始めた世代になったから、ともいえる。
確かに昔ほどではないが、今回は範士の部の最後が近づくにつれ、各剣士の個性が前面に出てくるように感じられた。そのことに見ている人たちが拍手を送ったように筆者には思えた。高齢のため防御の能力、あるいは意識が落ちて技が決まりやすいという面も確かにある。高年齢にもかかわらず見事な打突を見せてくれたという驚きもあるだろう。しかし、うまく整理できないが前半の範士たちとは確かに違うものがあったと思う。それはある年齢を超えて迎えた「守破離」の「離」の境地なのか……。
10年後、20年後に本大会の掉尾を飾る剣士たちは、そんな違いを感じさせてくれるのだろうか。
■範士八段 香田郡秀(茨城)×谷勝彦(群馬)
範士の部最初の取り組みは筑波大学時代の同期による立合。香田範士は学生時代から好成績を残し世界選手権個人優勝などの実績があるが、八段になってからは谷範士が全国選抜八段優勝大会で優勝を果たすなど実績を残している。
初太刀、二合目と香田範士が仕掛けていく。さらに香田範士が仕掛けると谷範士も応じて打つが互いにとらえきれない。
そして両者が意を決したようにメンに跳び、相メンとなる(写真)。これは香田範士に分があっただろうか。随一の見せ場となった。場内からため息がもれる。
その後、谷範士がメン技を何度か繰り出すもとらえきれず。香田範士が得意のコテやコテメンを繰り出して攻め続けるうちに時間となった。
■範士八段 大城戸功(愛媛)×松田勇人(奈良)
全国選抜八段優勝大会でも活躍する両者。まず、松田範士が大城戸範士のメンに対しメン返しメンを放つ(写真)。
その後も松田範士はコテを狙うなど攻撃的な姿勢が目立った。大城戸範士も反撃を試みるが、松田範士が前で封じる。続いて松田範士がコテからメンを攻めるも不発。すると今度は両者がメンに跳び相メンとなる。打突音が響くが、どちらに分があったか──。
最後に大城戸範士が打っていくも決まらず。ともに何とか一本を奪おうという姿勢を見せた立合だった。
■範士八段 蒔田実(千葉)×角薫(福岡・薙刀)
薙刀との異種試合は本大会に欠かせないものだと筆者は思っている。角正武剣道範士の妻であり中村学園女子高校の校長を務めた角薫範士は、何度かこの舞台で異種試合を披露している。今回挑んだのは蒔田範士だった。
蒔田範士は初太刀から躊躇なく間に入ってメンを狙う。角範士はスネを狙う。ともに異種試合の定石通りの戦い方である。蒔田範士は長年勤務した国際武道大学で経験を積んでいるのだろう、動きに自信がみなぎっている。
角範士がコテを狙い、蒔田範士がそれに応じてメンに行く場面も。すると角範士が構えを変えて右上方に剣先をかかげ、またもスネを狙う。それに応じて蒔田範士が間に入ってメン。どちらが有効だったろうか──。
最後に角範士がスネを打つと心地よい音が響き、会場がどよめいた。
■範士八段 古川和男(北海道)×亀井徹(熊本)
同年齢で大学時代から長い間各レベルで競い合ってきた、まさに好敵手同士の立合。亀井範士が開始早々から何度か続けて攻め込んでいった。三打、四打あたりまでしのいでいた古川範士が、やがて大きな技で反撃を開始する。
後半は互いにスキと見るや打突を繰り出し、まさに丁々発止のやり取りとなる。それは相手に勝とうというよりも、二人での稽古を楽しんでいるように見えた。見ている側にもそれが伝わったのだろう、終了の合図と同時に拍手が沸き起こった。
■範士八段 岩立三郎(千葉)×太田忠徳(東京)
最後から数えて6番目の立合。初太刀で太田範士がコテを見せると、次は岩立範士がメンメンと攻める。さらに太田範士がコテを放ち、決まらないとみるやすかさずメンを攻める(写真)。だがまだ不充分か。続いて岩立範士がメンに出ると太田範士はドウに返す。
ここからが見事なメンを互いに打ち合った。岩立範士のメンに場内が沸くと、直後に太田範士がメンに跳びまたも場内がどよめく。その後も活発な打ち合いが続いた。
立合が終わると久しぶりに拍手が沸き起こった。それはこの立合から最後の一番まで続く。
■範士八段 加藤浩二(東京)×島野大洋(大阪)
島野範士が終始攻めた。攻めまくった。
初太刀でコテからメンを見せた島野範士が、続いて大きくメンに跳ぶと観衆からどよめきが起こる。さらに島野範士が打って出る。ここでようやく加藤範士が反撃に出ると、そこに島野範士が合わせてメンに乗っていく。
さらに二、三打を放った島野範士が、もう一度大きくメンに出る(写真)。この見事なメンに拍手が起こった。
残り時間少なくなり加藤範士が反撃に出るも、またも島野範士がメンを放っていった。
■範士八段 福本修二(神奈川)×井上茂明(奈良)
立ち上がりから攻めの姿勢を見せたのは福本範士。初太刀はコテから入ってさらに打つと、二合目には井上範士が応じて相打ちになる。さらに福本範士はメンに伸びる。
攻めをゆるめない福本範士は、さらにメン。続いて内小手あたりを打ってからメンに渡り、場内を沸かせた(写真)。
その後も相手の竹刀を巻いたり、間が近くなるとひきメンを放つなど、攻めて打ってこそ剣道であると主張するような、福本範士の個性ある剣風が光り輝いた。
■範士八段 佐藤成明(茨城)×矢野博志(東京)
立ち上がり、高段者らしい剣先での争いが1分以上続いただろうか。静寂を破ったのは矢野範士だった。メンを狙っていくが佐藤範士は竹刀を横にして防ぐ。
二合目、佐藤範士がためをつくるようにして間を詰めメンに伸びる。会場からどよめきが漏れた(写真)。すると矢野範士がメン。これもいい技だった。さらに矢野範士がメンを見せるがこれは不発。
さらに一合あって時間となる。相手がよく見えていた印象の佐藤範士に対し、矢野範士も後半攻めに転じ、互いの良さが出た立合となった。
■範士八段 髙﨑慶男(茨城)×小西司郎(東京)
髙﨑範士は96歳、対する小西範士は93歳。前の組の二人が昭和10年代生まれで戦後の剣道育ちであるのに対し、こちらの二人は大正生まれで戦前の剣道を知る世代、10年以上の開きがある。
髙﨑範士は二太刀目で跳び込んでの見事なメンを放ち、拍手を浴びる。このあと髙﨑範士はコテを一度だけ見せた以外、まっすぐに跳び込んでのメンを何度か繰り出し(写真)、見る者を驚嘆させた。
一方的な展開のまま終わるかと思われたが、終了時間が近づいたところで、小西範士が初めてメンに跳び、一矢を報いる(写真)。耐えて耐えて最後に繰り出した執念の一打に大きな拍手が起こった。
■範士八段 坂井年夫(山口)×野正豊稔(東京)
坂井範士は前の組の髙﨑範士と同じ96歳。坂井範士が4日だけ早く生まれており、最高齢である。対する野正範士は92歳。
まず坂井範士がコテ、メンと攻めていった。さらに同じように打っていくと、間が近くなったところで野正範士が連続で技を出す。すると坂井範士が技が途切れたところで、ひき気味にメンを痛打(写真)、大きな拍手を呼んだ。
その後も同じように間が近いところで野正範士が連打し、そのスキに坂井範士が同じようにメンを打ち込んだ。最高齢である坂井範士の体さばきは若々しく、拍手に包まれて大会は幕を閉じた。