【連載④】躍進した魁星旗大会で見えた足りないもの|飯田良平監督のラストシーズンを追う

飯田監督と育英の選手
飯田監督と選手たちのミーティング(全国高校選抜大会にて)
インタビュー

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3月29~31日 魁星旗大会

「空港での待ち時間に喫茶スペースでミーティング、というより雑談をしたのですが、『お前たちこのままでは尻すぼみだぞ。去年の戦績は(大将を務めた当時3年生の)横藤(竜平)さんがいたからで、お前たちの力じゃなかったということになってしまう。魁星旗でやらなインターハイにつながらんぞ』と話をしました」

3月29日、魁星旗大会の行なわれる秋田へ向かう空港でのことである。育英の試合は翌日から。
昼過ぎに秋田に着いて、筑紫台高校(福岡)と練習試合をした。筑紫台の金森靖二監督が秋田に連れてきていたのはすべて新3年生で、ベストメンバーではないと飯田監督には思われた。
1試合目はその相手にやっと追いついて引き分けだった。

「2試合目はちょっとましになりましたが、おどおどした雰囲気が抜けなくて、どうなるかなと思った」

この日の段階では飯田監督はこう振り返る。

■1回戦~4回戦

3月30日、1回戦は札幌厚別(北海道)、2回戦は大曲農業(秋田)との対戦となり、ともに先鋒の大津が5人抜きを果たした。
3回戦の相手熊谷(埼玉)は力があると、飯田監督は本庄第一高校の相川浩一監督(校長)から聞いていた。その熊谷に対しては、大津が先鋒から3人を抜く。
副将に敗れたが、次鋒松井がその副将と引き分け、中堅榊原が相手の大将と引き分けて、2人残しで勝負を決めた。

4回戦は全国選抜でも対戦したばかりの龍谷(佐賀)との再戦となった。大津は引き分け、次鋒の阿部が1勝を上げて2人目と引き分ける。
ここで登場した榊原が相手の副将安藤千真に胴を奪われて敗退し、いったん追いつかれた。
予想通り競った展開となったが、副将同士の対戦は福岡が引き分け、松澤は1年生大将の與賀田湧作に二本勝ちして切り抜けた。

「榊原がいつもは全然行かないのに今度は行って負けた。熊谷高校との試合でもむこうの大将と、普通にやっていい試合なのにもうずっと逃げていた。それで榊原には相当怒ったんです」

■5回戦

大会最終日の31日、5回戦以降は薄氷を踏むような接戦の連続となった。
東福岡(福岡)との5回戦では先鋒同士から副将同士まで4試合引き分けが続く。大将同士、松澤と東福岡の中山豊樹の対戦となった。

東福岡は昨年の玉竜旗で育英と並んで3位入賞。当時のレギュラーで3年生は1人だけと、育英とよく似たチーム構成だった。
昨夏、インターハイが終わって新チームとなった後に3泊で合同合宿を行ない何度も練習試合をしたが、育英は全敗していたという。

「何度やっても榊原が原(光生)君に二本負け。その一人の負けをどうしても返すことができず、どんなに頑張っても松澤は中山君と引き分けでした。でも、大将戦まで持っていけば今の松澤ならなんとかする。意地があるだろうと思っていた」

そして、この日も中堅戦榊原と原が対戦。原が当然一本を取りに来たが榊原がそれを許すことはなかった。

「原君は取りに来ているからあせりがあって、気剣体一致になっていなかった。魁星旗の場合はお互いの監督が審判をしていますから、きちんと旗が上がる、えこひいきがない大会というふうに私は思っています。違う大会だとパッと旗が上がってしまうこともあるんですが……」

■これまで打たなかった逆胴を取り入れた結果が

副将同士はともに慎重に戦って引き分け、そして大将戦、決まり技になったのは逆胴だった。

実は、育英の選手たちは1年前まで代々、逆胴を打たなかった。練習もしていなかったという。

「兵庫県はもともと保守的なところがあって、私が教員になる前ですが高校生の上段が禁止されていたこともある。だから今でも兵庫は上段に対して下手なんですが。私もそんな中で育ってきたので、みんなが逆胴を打っているときに、まっすぐ遣えばいいやないかって思っていたんです。それでも、あまりにも勝ち切らないし、私も残り2年だし、と思って藤岡先生に頼むことにしたんです」

藤岡先生とは和歌山北高校の藤岡弘径監督のことである。
国士舘大学時代に全日本学生選手権を制し、卒業後も教職員大会で個人優勝、和歌山国体優勝などを果たしている。
平成27年に京都で行なわれた全国教職員剣道大会に出場した飯田監督は、その大会で個人優勝した藤岡監督が逆胴を次々に決めているのを見ていた。
そこで生徒を連れて一泊で練習に来るように藤岡監督を誘って、逆胴講座を開いてもらうことにした。昨年(平成29年)4月のことである。
攻めからの逆胴、立ち上がりからの逆胴などを、育英の部員らは藤岡監督に学んだ。

その逆胴を、東福岡との一戦で松澤が遣ったのである。

「たぶん延長10分ぐらいしていましたから、もうお互いにすることがない。そこで逆胴。打ちとしてはそんないい打ちではなかったけれど、あれだけ長くなってあの大きい中山くんが受けてしまえば……。審判もそれは人間だから当たった当たらないではなく、雰囲気が出てしまえば旗を上げる。だからなんせ打ち切れといつも言っているんです。当たってなかったとかあとで言っても、試合が終わってしまえばもうそれで終わりだから。あの場面も、もう旗を上げないと仕方がないところだったと思います」

何十年も貫いてきた方針を曲げて取り入れた逆胴がチームを救った。

■準々決勝〜準決勝

続く東海大札幌(北海道)との準々決勝。これも全国選抜前に愛知の星城高校での練成会で何度か試合しており、そのときには勝っていた。
だが、2引き分けのあと、東福岡戦では健闘して引き分けたというべき榊原が、上段の春木貴人にメンを奪われ敗れる。
試合は福岡がすぐに小手を決めて春木を下し、副将の栗原宰と引き分け。大将同士の試合は松澤が青木一真を下して勝ち進んだ。

ここで飯田監督は大きな決断を下す。

「次は九州学院。そこで榊原を使ったら負けるなと。リードされたら九学は一気に来ますから」

九州学院との準決勝、中堅には猪俣毅が入った。

選抜で王座に着いたばかりの九州学院との対戦は先鋒同士から副将同士まで引き分けが続き、松澤と、全国選抜のヒーロー重黒木祐介による大将決戦となる。

「松澤は中学校時代からずっと重黒木君とやってきて、全中でも負けている。でも練習試合ではだいたい引き分けです。やられていたこともあったけど、3月のデスマッチでは松澤のほうがよかったですね。松澤はあまり悪い時期がないんです。『調子が悪いなんて言ってる余裕はうちのチームにはない。お前は小さいからずっとよくなければいけない』と言っています(笑)。インターハイまで持つか、ほんま心配しているんだけど」

3月10日~11日に行なわれた大霧島旗争奪高校剣道錬成大会に行く途中で、育英のメンバーは九州学院を訪れ一対一で何試合か練習試合をしている。デスマッチとはそのことである。

警戒していたのは分かれぎわに重黒木が打つひきメン。一度そのメンが出てひやりとしたが、分かれる動作に入ってからの打突に審判の旗は動かず、逆に延長になって松澤がひきメンを放つと、これが一本となった。
この瞬間、選抜王者を退けての決勝進出が決まった。

■決勝

4年ぶりに進んだ魁星旗決勝の相手は島原(長崎)。選抜優勝校の後は準優勝校である。
この試合では育英が先手を取った。先鋒同士が引き分けたあと、次鋒阿部が林田匡平からひき胴を奪って勝利。続く前田聖直と引き分けた。
猪俣は若杉一真と引き分け、副将福岡と相手の大将黒川雄大との勝負となる。しかし福岡は延長に入ってすぐにメンを奪われた。

「阿部が前田君と引き分けた。取れたかもしれんなあとで思ったけれど、阿部にしてもそれが精一杯だったかなあ。猪俣には負けなければいいよ、ぐらいしか言っていないのですが、若杉君も慎重だったのでどちらも何もせずに引き分けた。あそこで榊原が必要なんです。あそこが榊原だったら取りに行けって言えば行けたかもしれない。榊原は松澤も出ていない1年の玉竜旗、インターハイから出ている選手で、素質があり地力があるのを認めているから使ってきたのに、ここまでこっちの想いが伝わらなかったらダメ、と思って代えた。でも決勝戦で、榊原がいたらなあと欲が出ました。福岡で黒川君を疲れさせることができるかなと思ったけど、延長に入ってすぐ打たれた。やっぱりそこがまだまだ福岡も足らないんです。まだまだ、みんなが良くない」

そしてこの試合を決めたのも逆胴だった。大将同士の試合、時間内の4分は松澤ペース。延長に入っても5分か6分かは松澤ペースだったという。
そして7分か8分のところで、松澤が逆胴に行く。

「ちょっとコーナーに詰まって、何を思ったか、逆胴の快感があったんでしょうね。私の嫌いな『芝刈り逆胴』(笑)に行った。普段はそういうことをしない子なのに、本当に何もないところに逆胴に行きました」

松澤が逆胴に行くところに、黒川が大きくひきメンを決めた。

飯田監督が頑なに教えてこなかった逆胴を昨年から取り入れた。その逆胴が5回戦ではチームを救い、決勝では優勝を逃す原因となった。
逆胴がいい方にも悪い方にも出てしまったとも言えるが……。

「中山君に逆胴で勝っていなかったら決勝まで上がっていないし、逆胴もあるから重黒木君の守りも違ってきたと思う。育英の場合、ここは打たれないというのが他校の先生がにはあったかもしれない。そのことでちょっと面白くはなったかなと思ったりもするんですけどね……」

と飯田監督は話す。

魁星旗大会準優勝、しかも王者九州学院を破って。もちろん悪い成績ではない。自信を得た部分もあったのではないだろうか。
松澤はこんなふうに振り返っていた。

「日本一に少し近づいたという気持ちはあったんですけど、まだまだ優勝までは遠いかなって感じがします。選抜でベスト8で、魁星旗で2位になっても、飯田先生にもインターハイ予選が一番難しいって言われていて、チームのみんなにも自分から、気を抜かずに一日一日の稽古を大切にして一生懸命取り組んでいくことを言って、気持ちを高めていっています」

4年前の魁星旗、山田将也らを擁したチームは、決勝で全国選抜には出ていなかった九州学院の前衛2人に5人が抜かれて敗退した。
その前の選抜大会では予選リーグで本庄第一にラスト1秒で追いつかれて引き分け、結局リーグ戦で敗退していた。しかし夏にはインターハイ準優勝という過去最高の戦績を残している。

「そのときは『お前たちは選抜で無様な試合して、ずうっと出てきているのに出てない選手に負けてまた無様な試合。小田原インターハイで絶対に九学叩くぞ』と話をして、それでまたまとまって夏には良くなった。前にも言いましたけど、うちの場合は選抜全国大会どころか、兵庫県の新人戦でベスト16ぐらいで負けたときにインターハイで3位とか、そこから半年本当に頑張って頑張ってインターハイに臨んで、成績を上げている。だから負けて強くなるんだ、と。今回も黒川君に打たれたあの悔しさと、他の者がもうちょっと働ききれなかったことを忘れてはいけない。選抜も魁星旗も松澤に回して松澤に助けてもらった。『それじゃだめだ。先鋒から大将まで全部、二本ずつ取ってくる。本当にそういうふうな思いでやれ』と話しました。とにかくまずは6月2日です。それが終わらんことにはどないもならんので」

6月2日のインターハイ兵庫予選までは、もう2カ月しかない。

全国選抜大会にて。
ベスト8で同じ近畿のチームに敗退した悔しさを、魁星旗大会にぶつけた

【連載⑤】「大将に回すな」を達成したインターハイ予選。そして2カ月後の大舞台へ|飯田良平監督のラストシーズンを追う

2018.06.13
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