相手の心を乱す手段として突きを使う
突きに行くと気分を害される先生もたくさんいらっしゃいます。
しかし中心を攻めて取り返して来るところを裏から突くと、相手も怒らないんです。「まいった」っていう先生が多いですね。
今は上の先生にかかる機会はほぼないですが、基本的には上の先生には突いてはいけないでしょう。
しかし高校生との練習では私に突いてくる子もいます。「突いてこい」と言っていますから。しかし「よそに行って上の先生に突いてはダメだよ」とも言ってあります。
全日本剣道連盟の合宿(強化訓練講習会)、骨太(選抜特別訓練講習会)で指導するときでも、
「先生方に突きを突くのは失礼だけれでも、オレは突くんだから突き返してこい。遠慮するな。俺も(年齢的に)もうちょっとは大丈夫だから、俺が突いている間は突き返してこい」
と言います。その代わり倍になって返ってくるかもしれないけど(笑)
■「なにぃー」の「な」を打つ
今の人たちはそうではありませんが、昔の人たちはこちらが突きに行くと「なにぃー、この野郎」というようにカッとなって突き返してくることが多かったです。
そこに出ばな面を決めたことは何度となくあります。その「なにぃー」の「な」を打つわけです。
スポーツアコード・コンバットゲームズ(世界武道・格闘技大会。第2回・平成25年)に出たときに、韓国の先生と準決勝で対戦したのですが、懐が深くてなかなか打てなかったんです。
間を切られて届かないのでどうしようかと思ったけれど、最後は諸手突きに行って、相手の「なにぃー」の「な」に出ばな面を打って一本取ったんです。
すると向こうは取り返しに来たから、出小手を決めることができました。
■突きの目的を知っておくこと
東海大札幌高校では、もちろん基本稽古の中に突きは入っていますが、基本的には本人たちにまかせています。
こういう突き方があるということは教えます。でも「突きを決めようとしたら失敗するよ」と言っています。
突きは失敗するのが当たり前で、突いたことで中心を取る、攻め勝つということが目的と考えた方がいいでしょう。たまたま決まればいいけど、決まることは少ないですから。
突いて相手がのけぞったところをそのまま面に乗るとか、突いたことで逆に相手が出てくるところを出小手に押さえるなど、突きからの技を覚えなさいと指導しています。
突きを攻めるということは中心を取るということであり、突かれた方は心が乱れる。その乱れた瞬間に面や小手を決める。
コンバットゲームズの例のように、逆に突き返してくるところを出ばな面に行くといったことですね。
突きは、そういうふうに試合運びで主導権を握るという意味で有効です。中心を取って崩すための道と考えればいいでしょう。
たまたま決まればいいけれど、なかなか決まることはない。決まる可能性はほんのわずか。そのわずかにかけるのはちょっとリスクが高いと思います。
八段になってから突きが一本になることが多いというのは、相手が高段者になればなるほど手元が崩れないですし、若い頃ほど足も使いませんから、突きが決まるということがあるのです。
もちろん私が突きの練習をしているから正確に突けるということは前提としてありますが、稽古の中でガンガン突き合うようなことをしているわけではありません。
■昇段審査での突きはどう評価されるか
昇段審査での突きの評価は、突き方によるでしょうね。「いやらしい」と思われない突きならいいと思います。
稽古をしていても、この先生いやらしいなと感じることがあります。
「なにぃー、この野郎」っていうような心、「突きでも決めてやるか」「一本、崩してやるか」というような横着な心で突いてくる。そういう心が見える突きであったら◯をつける先生はいないでしょう。
たぶん落ちると思います。審査員にはそういう心は全部わかります。心は態度に現われますから。「突くところじゃないだろう」と先生方は思うでしょうし、そうしたらそのあとでいい技が出ても、受からないかもしれません。
しかし、素直に技として突きを出しているのは、審査員もいやらしく感じません。
たまたま相手が開いたので、そこをパって突いたというような突きなら、見事な機会で打ったなと評価するでしょうし、あるいはそこから面に行ったりしたら、いい崩しだなと思うでしょう。
突き自体を嫌う先生もいらっしゃるので、基本的にはあまり突かない方がいいのかもしれないと思う部分もあります。でも、八段審査で突き面で受かった人も私は見ています。
そこまでは全然良くなかったのですが、最後に突きでドーンと崩して面を打って、八段に合格した先生がいました。
本当に無の状態で審査を受けていて、その中で突きが出た。そして次に面に行った。
そういう理にかなった突きは全然かまわないと思います。ただ、素直な無の状態で審査に臨み、その理にかなった突きを出せるかというと、それをできる人は六段七段の中でも何人もいないと思います。多くの人がいやらしい突きになっているんです。
試合では、面でも小手でもそうですが、突こう突こうと考えて戦っていたら、逆に打たれてしまうことがほとんどでしょう。たとえば出ばな面をずっと狙っていたら、逆に胴を打たれることが多いです。
学生のとき、相手がそれまで全部小手から来ていたのを見て、「よし、小手を誘って小手すり上げ面だ」って思って戦ったら、真っ向から面を打たれたことがあります。こう来るからこうしようと決めつけていった
試合というのは、だいたい負けています。
男子の強化講習会のときの稽古で、諸手突きはほとんど決まらないのですが、片手突きは決まることがあります。
だから突かれたことがある選手たちは、私が裏から突くから、そこをすりあげて面、あるいは出ばな面を打ってやろうと思っている。
そこに突いたらもう標的になってしまうわけだから、私は突くそぶりも見せずにずっと稽古していて、本当に最後の一本のとき、今日は来ないんだなと思ったときに突くんです。
突かれた選手は「あーっ」て残念がる。
「ずうっと待ってたけど、今は忘れてたろう? さっきまでは確かにオレの突きを警戒して、すりあげ面、出ばな面を打とうとしてた。今は一瞬それが消えた。消えた瞬間俺の体が行ってた。だから決まったんだ」
と話します。
■突き技を身につける方法
大学卒業後北海道の東海大第四高校(当時)に赴任すると、たまたま道場の隅に暖房用の鉄パイプがあったんです。
それを毎日突いて、突きの練習をしました。円形だから、中心を外れるとするっと外れてしまう。それが中心をとらえて止まるように、まず片手で止まるように練習して、次に諸手で止まるように練習しました。
だんだん外さなくなったから、そのうちパイプが曲がってしまいました。それで最後はカバーを付けられてしまい、練習ができなくなりました(笑)
今でも道場に鉄パイプなどがあったら、一緒にいる人に突いてみるように言います。力を抜けるようになれば止まるんですが、なかなかできません。やって見せると、「止まるんですね」と皆さん驚きます。
突きは突きっぱなしでは絶対ダメで、突いたあとの引きが大切です。そのためには腰が入っていないと引けません。
そのためにもそういう練習が大事です。パイプや鉄柱でなくてもいいですが、壁の突起や柱の角など目標を決めて練習するといいと思います。
止めるというのは引く練習でもあるわけです。(実際にやってみせながら)私がやると簡単にできるように見えるでしょうが、普通の人がやるとまず目標に当たらないです。これが自然とできるように、若い頃に繰り返し繰り返し練習したからできることです。
強調しておきたいことは、突きに限らず、小手でも面でも胴でも基本をしっかりやることです。
一足一刀の間合から足を継がずに一拍子で面を打つ。この基本中の基本ができるかどうか。これが面にも小手にも胴にも突きにも全部響くんです。
基本打ちの稽古のときでも、一足一刀の間から左足を継いで技を出している人は多いです。
切り返しのときの面でも、左足が動いている人がほとんどです。たぶん全国的に見ても足を継がずに打っている人は1%か2%しかいないのではないでしょうか。
遠間から一足一刀の間合にスッと入る、そこから行くのはいいんです。一足一刀で構えているのにそこから足を継いでいる人がほとんどなんです。左足が動いた瞬間、丹田から力が抜けてしまうんです。
そこをつねに意識して、一足一刀の間から一拍子で、足を継がないで打つことを心がけて練習している人は、返し技でも抜き技でも、応じ技でも、なんでも技ができます。
ところがそこを甘くやっている人はなかなか難しい。試合で出小手や出ばな面や抜き胴を打つときに、いちいち左足が動いていたら打てません。
それをみんな普段からごまかして打っている。それは楽をしているということです。
一足一刀から足を継がないで打つのは基本中の基本。これがきちっとできていないと、すべての技はできないと私は思います。
そこが一番の問題だと思います。
強い先生方はその基本がしっかりできているということです。私が年取って八段戦で優勝させていただいたのも、それをつねに頭に入れてやっていたから、若い先生とも対等にできて、相面でも勝負できたと思います。
その大切さを教えてくれた先生に感謝しなきゃいけないし、その先人の大先生方から教わったことを守って、次の世代に伝えていかなければならないと思っています。
そういう面では、教育者として頑張ってきて、ある程度試合も出ているし、強化講習会などにも参加させていただいて、そういう場面にいるので、その場にいる人間である私が正しい剣道を守り、伝えていかなければと思っています。
それを実践するのは楽なことではなく、年齢とともに苦しいこともあるのですけれど。