【連載③】あの時高千穂に行っていなければ……|清家羅偉選手 スペシャルインタビュー

清家宏一氏
終わって1週間か1カ月の間は、息子のインターハイ優勝が夢かも知れないと思っていたという
インタビュー

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高千穂に惚れ直した父が勧めた高千穂高への進学

高千穂中3年の夏、清家は全国中学校大会個人戦出場を果たした。本大会でもベスト16まで勝ち進む。

部員も増え団体戦出場も可能になった。隣の中学から同級生が転校して来たのに加え、大阪の別な警察署で宏一氏の高千穂高、大阪体育大の同期である佐藤博光氏が指導していた生徒が、清家の活躍に刺激されたのであろう、転校してきた。1年生も3人ほど入り、男子部員が6~7人になっていた。

全中大会が終わった後で帰省したときに、清家は父にこう尋ねたという。

「オレ、高千穂高校に行かなければいかん?」

清家は「そういう流れができているのかと思って聞いた」と言う。その時父はこう答えた。

「じゃあどこ行くねん?」

清家が高千穂中に進んで1年ほどしか経っていない。当然その間に高千穂高に稽古に行く機会も多かった。当初は高千穂高に進むことを考えていなかった父、長い間高千穂に足を踏み入れてさえいなかった父だったが、その間に気持ちは変わっていた。

「ああやっぱり高千穂っていいな、みたいな感じです、息子が行くまで何十年も帰ってなかったのに(笑)。それで『オレの今があるのは高千穂高校の3年間があったからや』と息子に言ったことを覚えています。『高千穂中学校でお世話になって強くさせてもらったけど、高千穂高校でも強くさせてもらったんだから、ここで恩を返さないでどうするんや、男じゃない』というようなことも言いました」(宏一氏)

全中ベスト16に入っても、他の私立高校などからの勧誘はなかった。それは清家の力が評価されなかったというよりも、他の高校関係者も清家が高千穂高に進むのが既定路線だと思っていたからかもしれない。

■二人の妹も高千穂へ

やがて清家は高千穂高に行くことを決心する。

「個人戦で全中に出られて、自分でも成長していると実感できた部分があったので。それに高千穂高校にも同級生が結構入ってくるという話もあったので、また高校でも結果を残せるかなと思って選びました」

もともとどんな高校が強いか、どこへ行きたいかなどをあまり考えることもなく、情報交換することもなかった。だが宮崎県内の強い中学生の動向は知っていたし、優勝チームの中堅をつとめることになる熊本県あさぎり中の林拓郎が来ることも分かった。中学のときお互いに先鋒で何度か試合をしたことがあり、全部清家が敗れていたという。

清家が中学3年になろうとする平成26年3月の全国高校選抜大会で、高千穂高は3位入賞を果たしている。「それを見て、ああ、すごいなと思った」と清家は言う。その頃から高千穂高に行きたいという気持ちは芽生えていたのかもしれない。

高千穂高に入学してみると、清家は中学より稽古が厳しいとは感じなかったそうだ。

「中学校は少人数でやっていたので、つねに見られているという感じがありました。生活もずっと先生の家に下宿だったので。それが寮に変わって、その方が楽ですし、稽古の人数も多くなって見られているという感覚もあまりなく……たぶん見られていたとは思うんですが」

稽古内容などは雑誌や映像でも紹介されているので、それよりも生活面などを聞いてみた。高千穂高の寮は学校が運営する寮で、剣道部の保護者が寮監を務めており、野口監督が足を運ぶのは月に1~2回だという。

寮ではゲームは禁止。しかし修学旅行先で買って持ち帰った部員がいて取り上げられたこともあるという。彼女をつくるのも禁止。そんな中で楽しみというか息抜きはどうしていたのか。

時代は違うが、宏一氏がこんな話を紹介してくれた。

「稽古が休みの日に、タクシーでみんなで乗り合わせて川に行って飛び込んだりしたことがあります。タクシーの運転手さんに『すみませんこれだけしかないんです』って言うと、『どこまで行きたいんや』と聞かれて、『どこどこの川まで』と。『これだけでは無理や』と言いながら、『乗れ』って、ワンメーターで行ってくれたりしました」(宏一氏)

最近でもOB会の後にタクシーでファミリーレストランに行ったらもう閉店していたので、戻ってくださいと言うと帰りはメーターを切ってくれたそうだ。

「タクシーじゃなくても知らないおじちゃんおばちゃんが、『車乗ってけ』って声かけてくれる。大阪でそんな人がいたら危ないですけど。高千穂はまだ人情あふれるそんな町です」(宏一氏)

清家も父の話をうなずきながら聞いていた。そんな人情に触れる機会がたくさんあったようだ。

清家の母、つまり宏一氏の妻智永さんは、息子が一人で遠く離れた場所に行ってしまうことがつらく、送り出すときからずうっと泣きっぱなしだったそうだ。

関西遠征などで家に戻ると、離れるときには必ず抱きしめて、泣く。周りのお母さんたちがそれを見てもらい泣きするという状態だったという。照れくさいのだろう、「やめて欲しい」と清家はいつも言っていたそうだが、そんな母親ならではの愛情も清家を育てた一つの要素だったのだろう。

清家一家と高千穂の結びつきは、その後さらに強くなっていった。

清家の二人の妹、野々花(ののか)さん、彩来(さら)さんは二人とも剣道をしているが、兄と同じ高千穂中に進むことになった。二人とも自分から行きたいと言い出したとそうだ。野々花さんは平成30年4月には高千穂高へ進学、彩来さんは高千穂中2年生になる。女の子でもあり小野監督が平成29年3月いっぱいで転勤することも分かっていたので、そのたびごとに家族の中で反対意見もあったが、結局は行くことになった。

「兄弟3人で一緒の共通の思い出とか記憶があったら、将来新しい家族ができたりしても3人集まったときに、お兄ちゃんはこんなやった、妹はこんなやったって、面白い話になるんじゃないかなって。人も優しいしね、むこうは」(宏一氏)

という宏一氏の話に清家もうなずく。

「あの時高千穂に行っていなければ、今の清家羅偉選手はなかったのでは?」と尋ねると、間髪を容れず、「そうですね。なかったと思います」という返事が返ってきた。

【連載④】全国選抜からの数カ月でチームが変わった|清家羅偉選手 スペシャルインタビュー

2018.04.25
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