2019玉竜旗王者・福岡第一高校。どんな稽古が彼らを強くしたのか

インタビュー

2019年の玉竜旗を制したのは、福岡第一高校だった。
続くインターハイでは準々決勝まで進み、
優勝した九州学院高校に代表戦の末惜しくも敗退したが、
令和最初の夏、高校剣道界で主役級の活躍を見せた。
選手たちはどんな稽古を積んで強くなり、
どんな思いで戦ったのか。
福岡市南区にある福岡第一高校を訪ねた。

「高校でもう一度日本一と全中優勝メンバーが集結

「勝たなければいけないチームだと思っていました」

 玉竜旗で優勝を決めた直後、福岡第一高校の田城昌彦監督はホッとしたようにそう語っていた。それだけの実績と実力を持つメンバーが揃っていた。

 3年前の全国中学校大会男子団体で優勝したのは、福岡県の玄洋中学校だった。その優勝メンバーのうち田城徳光、谷口隆磨、斉藤光志郎の3選手が揃って福岡第一高校に進んだ。3人は強豪道場として知られる今宿少年剣道部に所属しており、小学6年生の年と中学3年生の年には日本武道館の全国道場少年大会で団体2位になっている。中学は違うが今宿少年剣道部からはもう1人、中峰啓太選手も一緒に進学した。

 田城徳光選手は田城監督の長男である。当然の流れとして福岡第一への進学を決めていた。選手それぞれが語っているように(38ページ〜)それならばこのメンバーで高校でも日本一を目指そうということで、他の選手も揃って入学してきた。徳光選手の弟であり全中優勝メンバーである智也選手も後を追って、1年に在籍している。

 田城監督(教士七段)は保護者として今宿少年剣道部とも関わってきていたので、子どもの頃から彼らを知っていた。自身も今宿少年剣道部の山内正幸教士八段らが開いている稽古会(木曜会)に通い、八段を目指して稽古を積んでいる。

 福岡第一高等学校は1956年に開校。教頭であり国士舘大学剣道部出身の鐘江良雄氏(故人)が剣道部の発展に尽力し、南筑高校から国士舘大学を卒業した江崎久氏(現・総監督)が長く部を率いてきた。男子監督の田城氏は同校OBで、日本体育大学を卒業。高校在学中は江崎監督、鐘江部長という体制だった。また田城監督の少年時代の恩師である吉武六郎範士九段(故人)が師範を務めていた。吉武範士も戦前の国士舘専門学校OBである。

 現在校長代理の職にある江崎総監督が1983に赴任すると、1992年にインターハイ男子団体初出場、その後も数年おきに出場を果たすようになる。2012年には決勝まで進み2位入賞、個人戦では井手勝也選手が優勝という結果を残した。2019年は5回目の出場だった。玉竜旗大会では2000年に2位、2008年には藤岡弘径選手らを擁し念願の初優勝に輝いた。また女子は2015年に玉竜旗大会優勝を果たしている。

 田城監督は福岡市の体育館などの勤務を経て23年ほど前に赴任。恩師である江崎監督のもとで指導にあたってきた。長く女子監督をしており、インターハイ個人に2名出場、九州大会団体2位などの実績を残した。男子監督となったのは2018年からである。

 11年前に玉竜旗で初優勝したときは、田城監督の息子たちも見に来ていた。それに感動し自分も日本一になると言って剣道を始めた徳光選手が大将となり、2回目の優勝をもたらした。

「つねに試合を想定して」が監督の口癖

 現在、男子の部員は21名、女子は7名。女子はもう少し多かった時期もあるが、男子は以前からこのくらいの数だという。2019年のインターハイで4回目の優勝を飾ったバスケットボールを筆頭に他の運動部も活動が盛んで、特待生の制度もある。剣道部も中学校までに実績を残した選手が多く、県外から入学してくる者もいるが西日本がほとんどだという。

 遠方からの入学者のためには他の運動部の生徒と一緒の学校の寮があり、そこで生活している剣道部員もいる。寮母さんもいるが、田城監督も顔を出して掃除をしているかチェックしたり、たとえば体調が悪いときに病院につれていくなどのケアもしているそうだ。

 稽古は通常午後4時から7時ごろまで。もう少し遅くなることもある。そして毎日朝7時30分から8時まで、朝稽古がある。朝稽古は、冬場は1日おきに防具をつけての稽古とランニングになるそうだ。

 指導する上で田城監督が一番大事にしていることは何だろうか。

「剣道を通じて世の中に出ても活躍できる人間をつくること。それが私の指導方針です。そして『個性の伸展による人生練磨』という学校の方針がありますので、剣道も型にはめず、自分の得意技を活かしていくように、と考えています」

 ということは、実績のある今の選手たちは、高校に入ってから欠点を矯正するようなことはしなかったということだろうか。

「そうですね。高校に入っても自分のいいところを伸ばして、技についてはいろいろ本人と話しながらやってきました。ただ、今宿出身の子たちは団体戦の戦い方を山内先生から教えられて分かっているのですが、よその道場から来ている子たちには、チームが勝つためにどういう役割を果たさないといけないのかということは、一人ひとり、3年間で修正してきました」

 とくに変わった稽古法はないというが、以前とは変えてきた点もある。

「たとえばアップ会場とかで、他校のいろいろな練習を見させていただいて、ああいう練習をしなければいけないな、と感じて取り入れたり、あとは自分で考えながらですね。試合に即した練習メニューが増えたかもしれません。江崎先生の時代から基本が中心でしたが、基本をやったその上で、試合で勝つための稽古もするようになりました」

「試合を想定して」と監督によく言われる、という部員の証言もあった。

インタビュー
田城徳光
選手(3年・主将)

(福岡市・玄洋中・今宿少年剣道部出身)

──お父さんがいるから福岡第一に?

 小学校1年生のときに玉竜旗で優勝した試合を見て、私も福岡第一高校に入って玉竜旗で優勝したいという思いになり、それがきっかけで2年生から剣道を始めました。(中学から高校に進むにあたって)最初は仲間と話をしてはいなかったのですが、やがて、みんなで集まってやろうみたいな感じになりました。自分が1、2年生のときは江崎先生が主に指導して下さっていて父はコーチだったので、そんなに気を使ったり緊張することもなかったです。父が監督になって約1年なのですが、それからは剣道になったら先生、家に帰ったらお父さんというように分けるようにしていました。

──玉竜旗を振り返って

 自分個人の試合はあまり満足がいく試合ではなく、あまり力を発揮できなかったと思っていますが、前衛の選手たちが頑張ってきたので優勝という結果を修められました。(優勝を決めた大将戦は)やめがかかって開始線に戻るときなどに仲間が必死に応援してくれるのが見えて、絶対にこのメンバーで優勝したいという気持ちがさらに増したので、そのおかげで勝てたと思います。(福大大濠とは)小学生のときからずっとやっていて、小中高とも最大のライバルという意識でいつも試合をしていました。

──インターハイを振り返って

 自分の全力を出し切ったと思うので、悔いはないと思っています。(九州学院の大将)相馬(武蔵)君に公式戦では初めて負けました。試合をする前に父と、あの雰囲気の中では三本はしっかり打たないと旗は上がらないと話していて、二本ぐらいはいい場面で打ててあと一本打てればと思っていたのですが、最後は下がったところを打たれてしまいました。

──3年間で成長したところは?

 前の技が打てるようになったと思います。中学校のときも少しは打てていたのですが、ひき技を自分は結構打っていた覚えがあって、跳び込み面など前の技はなかったです。しかし高校生になってから跳び込み面を覚えて、前の技でだいぶ取れるようになったので、そこは3年間で自分の強みになりました。

追い込み稽古。朝稽古ではこれを20〜30分行なうという

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