【連載②】当日の審査と合格へ想いを綴る|剣道八段合格者の経歴と手記【平成30年5月審査】

合格への想いを綴る
両日の合格者手記第二弾として、11名のうち5名から寄せていただいた手記を紹介する
インタビュー

【連載①】審査の感想と合格への稽古|剣道八段合格者の経歴と手記

2018.06.01

宇波和彦(うなみ かずひこ)

プロフィール
【生年】昭和31年1月
【出身地】石川県羽咋郡宝達志水町生まれ
【始めた時期】中学1年生
【始めた場所】志雄中学校
【経歴】羽咋高校→東海大学→石川県高校教員
【現職】石川県教員・石川県剣道連盟理事(強化委員長)

【薫陶を受けた師】
(故)橋本明雄先生・(故)椎名慶勝先生・網代忠宏先生・田畑武正先生・山下和廣先生・末平佑二先生

【大会での戦歴】
全日本都道府県対抗優勝大会2回出場
全国教職員剣道大会2回出場
国民体育大会5回出場(5位1回)

■「攻め勝つ」「先をとる」「打ち切る」を心がけた

幾度も二次審査に跳ね返されるにつれ、これまでは審査が近づくと緊張や不安による「こうしなくては」「こうしてはいけない」などの余計な精神的不安材料を、今回はうまくコントロールでき、家を出た時からすべての審査が終了するまで集中し、落ち着いた心を作ることができたことに尽きると思っています。

また、立合においては「初太刀」にすべてをかける最高の気迫と、「攻め勝つこと」「先をとること」「打ち切ること」の三点を心がけ臨むことができたとも思っております。

稽古で心がけてきたことは、切り返しや打ち込みにおいても一本一本を正確に打つこと、稽古においては先ほど述べたように、攻めの気持ちをつねに持ち、打つべき機会が感じた時に打ち切った打突を心がけ、「打てた時」「打てなかったとき」「打ち返された時」の原因を先生方に指導していただき、自分で反省することに終始するようにしました。

また、稽古以外では空き時間を活用し、重い竹刀での素振りや、一挙動の打ちを鏡に映して行なったことにより、打突の強度が培われたと思っています。

 

末益正起(すえます まさのり)

プロフィール
【生年】昭和44年7月
【出身地】鹿児島県鹿児島市生まれ
【始めた時期】小学3年生
【始めた場所】鴨池剣道スポーツ少年団
【経歴】鹿児島商業高校→鹿児島県警察
【現職】警察官・鹿児島県警察学校教官

【薫陶を受けた師】
(故)逆瀬川安雄先生・(故)有満政明先生・末野栄二先生・厚地正文先生・小松信明先生

【大会での戦歴】
全日本選手権大会5回出場、ベスト8 1回
全日本都道府県対抗優勝大会3回出場
全国警察官剣道大会16回出場、優勝1回
国体12回出場、2位1回

 

数馬広二(かずま こうじ)

プロフィール

【生年】昭和37年10月
【出身地】千葉県勝浦市生まれ
【始めた時期】小学3年生
【始めた場所】興津興武館道場
【経歴】長生高校→筑波大学→筑波大学大学院→工学院大学
【現職】工学院大学教育推進機構 保健体育科教授

【薫陶を受けた師】
松和芳郎先生(故人・興津興武館)・室山文雄先生(故人・興津興武館館長)・中林信二先生(故人・筑波大学武道論研究室)・渡邉一郎先生(故人・筑波大学武道論研究室)・秋山昇司先生(故人・工学院大学元師範)・高橋彦松先生(故人・工学院大学元師範)・内田一真先生 (興津中学校)・青木寛先生 (長生高校)・岡村忠典先生(日本武道館武道学園)・佐藤成明先生(筑波大学・日本武道館武道学園)・加藤浩二先生(日本武道館武道学園)・太田忠徳先生(日本武道館武道学園)・作道正夫先生(大阪体育大学名誉教授)・真砂 威先生(東京学連・警察大学校)・高橋 亨先生(東京藝術大学名誉教授・工学院大学師範)・佐藤勝信先生(日本武道館武道学園)

【大会での戦歴】
全国教職員大会2回出場
国民体育大会出場

■筋トレを始め、日本剣道形を学びなおす

はじめに、これまでご指導いただいた先生方に、また支えていただい職場の皆様、そして送り出してくれた家族に、言葉には尽くせませんが感謝と御礼を申し上げます。

受験を始めて7年半。今回が15回目で二次は2回目でした。3年前の一次合格からイメージを持ち続けながらも、その後は身体バランスの不調や怪我などが続き、審査は上手くいきませんでした。そこで昨年から定期的に筋トレを始めたところ体質改善が図られたのか、怪我や腰痛などが少なくなりました。また今年1月、春に向かう公園の澄んだ空気に草木の息吹を感じつつ愛犬との散歩が始まり、これが心を落ち着かせる絶好の機会となりました。

日頃は、工学院大学で実験やレポートに追われつつも道場にくる学生と稽古ができる環境にあります。その学生達と昨年より日本剣道形を学び直しました。また私も講師に加えていただいている日本武道館武道学園には素晴らしい先生方がおられ、恒例の寒稽古や夏合宿でも細かなご指導をいただいております。当番日にあたる水曜日の稽古では、踏み込みと踏み切りを運動学的に学ぶ貴重な機会です。とはいえ稽古の絶対量が十分ではなく、私自身「合格はまだまだ遠い」と思っていましたので、今回の受験にあたっては、もう一度出発点に戻り、「これから自分自身が剣道を続けることの意味は何なのか」を、文献や書物にも求めようと思いました。このことが、自分の心を整理する大きなきっかけとなりました。

■55才の稽古をどうしたら良いのか、古典に学ぶ

まず、私自身、55才の稽古をどうしたら良いのか?という命題がありました。世阿弥が著した『風姿花伝』(岩波文庫)の中にある「年来稽古条々」には、「四十四、五才」の年齢の頃から(能の)「手立て、大方変わるべし」「年ゆけば身の花も、外目の花も失する」ので、年齢に「似合いたる風体を」とあります。たしかに体力が落ち、からだの変化に落胆する年齢になっておりますので「自分自身の年齢に合った剣道を磨けばいい」と思い込むようにしました。それにはスピードや反射以外の要素、つまり、打ち出す前のことを工夫する稽古がこの年齢では必要ではないかと思いました。

この課題は、工学院大学で2年ほど前に始めた「剣道研究会Kendo Daiichi Keikoba」で示された大きなテーマでもあります。(※工学院大学剣道研究会は、2020年オリンピック・パラリンピック東京大会に来日する大勢の外国人へ日本文化の一つである剣道を、本学新宿キャンパスでわかりやすく紹介することを目標に、講演者と外国人を含む参加者がQ&A方式で日頃の疑問を話し合う、開かれた稽古会です。)

二つ目は、審査の二分間で「自分勝手にならず、相手の技を引き出すことが可能か」、という疑問でした。中国の古典『荘子』の中にある「木鶏」の話を原典として江戸時代に佚斎樗山(いっさいちょざん)が著した「猫の妙術」に「我あるがゆえに敵あり。我なければ敵なし」「心と象(かたち)と共に忘れて潭然(たんぜん)として無事なる時は、和して一なり」(『天狗芸術論・猫の妙術』講談社学術文庫)とありました。猫がネズミを捕まえる術を説くこの話から、最終的には相手の心に入ってゆくことを目標に、そのために相手の目の色の変化を観察しながらの稽古をしました。

三つめは、発声の問題です。昨年秋の審査後に発声方法を変えたとき、中国医学の「大赫」というツボ(ほぼ臍下丹田の付近に位置しているようです)が刺激される体験をしたのです。このとき、筑波大学武道論研究室で学んだ、江戸時代の剣術流派・天真白井流(てんしんしらいりゅう)の白井亨(しらいとおる)の古文書に、「竹刀先から赫機(のび)というものが出て相手を包んだ」という術を読んだことを思い出しました。「大赫」と文字が似ているので、「これか!」と信じ、その発声方法を続けてみました。しかし発声方法は今も課題です。

■相手が6で自分が4、相手が7で自分が3。ともに足して10

さらに昇段審査は、ある「覚悟」を必要とすると思います。昨年の秋、日本武道学会剣道専門分科会の講演を聴講し、人間の「生」と「死」について考えさせられました。その後、戦国武士が自らの命を懸け、主君に仕える忠誠心を表した「一所懸命」や「武士の名誉」として落命したとしても、自らの戦いぶりこそが家の名誉にも関わったことなどに強い興味を抱きました。とすれば今回の審査当日は、今まで稽古し学んだことをキッチリと丁寧に行えば、たとえ落ちたとしても決して恥ずかしい受験ではない、しっかりやってみようと心が決まりました。

現在の仕事の一つに江戸時代に広がった在村剣術流派の調査があります。とりわけ現在も高崎市吉井町馬庭で室町時代から600年以上の伝統をもつ念流(馬庭念流)の文書群に接する機会をいただきつつも、現代において私が剣道の稽古を続けることの意味については中々整理できない部分もありました。そんな中、審査二ヶ月前に紹介された本、『剣の天地』(池波正太郎著 新潮文庫)に大きな衝撃を受けました。戦国時代、新陰流の祖・上泉伊勢守信綱の生き様を描くこの小説では、集団戦における個の剣術の可能性を明らかにしつつ、師弟同行の儚(はかな)(はかな)さと美しさ、天地自然と向き合うことの大切さ、それによって研ぎ澄ませる五感、家や家族との絆、本当の強さといったものなどが書かれておりました。小説を読み落涙したのは数十年ぶりでした。

審査日の前日、高橋亨先生(東京藝術大学名誉教授・工学院大学師範)にお願いした稽古で整理できたことがあります。「2人の立合(2分+2分)を通して4分間で自分を審査してもらえばいいじゃないか……」とアドバイスをいただきました。京都に向かう新幹線の中で、「80%の有効打よりも100%の決定打を」「打てない自分に焦燥感(あせり)を抱かず我慢する」「相手が6で自分が4、相手が7で自分が3の不利な状況こそチャンスがある。ともに足して10(和、一体化)を心がける」「あり合わせの自分で戦う」などの助言もあてはめてみました。

■「剣道は花、生活は根である」

審査当日朝、全日本剣道連盟・福本修二審査委員長が会場の受験者に「普段の稽古のつもりで受験してください。そこを評価します」というご挨拶をされました。この「普段の稽古」という言葉は自分にとっての救いとなり、審査では、一次、二次を通して、普段の稽古で心がけていること(かけ声、表と裏と真ん中の問題、鎬を使うこと、相手の打ち出しの真偽を判断すること……等)をしてみました。幸い、その試みを正面からガップリと受け止めていただけるお相手でした。

昨今、大学スポーツのあり方が問われております。勤務先の工学院大学は、「無限の可能性が開花する学園」を掲げ学生の人間的な成長を促す教育をしております。保健体育科の授業では剣道を選択科目として開設しており、伝統的な日本文化を学びたいという学生が少数ながら履修しております。剣道を通して本学と国際交流協定を結んでいるフィンランドのオウル大学はもとより、剣道を志向する外国人が多く来学するようにもなりました。初めて剣道に触れる学生や外国人たちに、剣道の稽古とは?相手をリスペクトする気持ちとは?身心一如とは?師弟同行とは?などを平易な言葉でわかりやすく説明することで、次世代の若者が伝統文化(術・学・道)に関心を持ってもらえればと考えています。

佐藤卯吉著『永遠なる剣道』(講談社)に「生活と剣道は一つでなければならぬ。剣道は花、生活は根である」「偉大なる花は深く張った根からでなくては生まれない」ということが書かれております。今回この文章をまとめながら、まずは自分の職場である大学の学生や、生活基盤である家族を「根」と思い、ここに感謝しながら、地道に剣道の修行を続けたいと思います。

 

髙橋直志(たかはし なおし)

プロフィール

【生年】昭和38年7月
【出生地】新潟県見附市生まれ
【剣道を始めた時期】小学校1年生
【剣道を始めた場所】見附剣友会
【経歴】長岡高校→國學院大學→帝京長岡高校教員
【現職】学校法人帝京蒼柴学園 帝京長岡高校教頭

【薫陶を受けた師】
(故)山崎正平先生・(故)橋本明雄先生・平川信夫先生・中田琇士先生・浅野修先生・大塚敬彦先生・濱崎滿先生・鎌田吉郎先生(大学時代の監督)
【大会での戦歴】
全日本東西対抗剣道大会出場
国民体育大会出場
全日本都道府県対抗剣道優勝大会出場
全国教職員大会出場

■審査前日から二次審査終了まで、一人で自分と向き合った

私は7回目の挑戦で幸いにも合格させていただきました。実は初めの3回の受審は、不謹慎ながら「楽しい受審」でした。旧友たちとの久しぶりの再会。合格率を見れば現実味のない数字でしたので、立合も無欲で臨むことができ、その結果、1・2回目は一次であと一票、そして3回目で初めての一次合格。その日の二次審査までの間も友人と他愛もない会話を交わしていました。

ところがその後の3回の受審はどん底でした。何をやってもうまくいかず、空回りの連続。自分の剣道も分からなくなりました。それは多分、よこしまな欲にかられた結果であったと思います。

そこで今さらながら日々、さまざまな場面で自分の心と真正面から向き合うことに努めました。審査前日の朝、家の神棚には「自分の精一杯の力が出し尽くせれば本望」との誓願を立て、一人京都へ向かいました。ただただ静かに自分と向き合いながら。その後も一人で夕食を取り、一人散歩し……朝を迎えました。朝食を取り、早めに会場へ向かい、必要以上の会話はせず、一次審査に臨みました。なぜかいつもの気負いがありませんでした。

一次審査の発表までの間も一人で昼食に行き、先輩から教えてもらった場所で静かに瞑想、二次審査開始1時間前から再び身体を温め直しました。そうして臨んだ二次審査。当然のことながらお二方とも強い。ですが不思議とお二人の先生にごく普通に稽古をお願いしているような心持ちで立ち合うことができました。

終わった直後は、とても良い稽古をいただいた、出し切れたという満たされた心境になりました。「次の東京審査ではどこに泊まろうかな」などとも考えていました。

まことに他愛もない体験記になってしまいましたが、何かのお役に立てていただければ幸いに存じます。20年前に見た「心で闘う120秒」での先生方のお言葉の一つひとつが、今さらながら心に沁みる今日この頃です。

 

鈴木康民(すずき やすたみ)

プロフィール

【生年】昭和23年4月
【出生地】熊本県玉名市生まれ
【剣道を始めた時期】中学校1年生
【剣道を始めた場所】故花田正美先生が指導されていた朝稽古
【経歴】北稜(旧玉名農業)高校→兵庫県警察
【現職】無職・高砂市剣道連盟副会長

【薫陶を受けた師】
花田正美先生(故人)・坂口進先生(故人)・秋丸收先生(故人)・兵庫県警察の師範、先生方・高砂市剣道連盟および竜東館の先生方

■53歳から挑戦し18年目で合格。足腰の鍛錬に重きをおいて

平成13年5月、53歳から挑戦が始まりました。今年で18年目となりましたが、なかなか遠く、今回一次審査通過3回目で合格することができました。

私の一日の剣道への取り組みをご紹介します。

まず、起きますと素振り100本を行ないます。これはもうすでに約40年近くになります。

平成22年4月退職後に、朝稽古会を立ち上げ(午前5時45分〜6時45分ぐらいの間、高砂市立竜山中学校にて)、息が上がるよう切り返し8回以上、基本打ち(面打ち等)、打ち込み4回を毎日(現在、年末年始の6日間は休み)やってきました。すでに9年目に入っています。

年齢的に体力の衰えがあり、朝稽古会の後、さらに足、腰を鍛えるため、両足首に250グラムの重りを着け毎日約1時間歩きます。とくに昨年は大雨の日を除き、真夏日も歩き続けました。

また、夜は竜東館(高砂市立米田小学校)を中心に、約1時間の地稽古を週3回以上稽古に努めました。

その結果、足と腰に自信がつき、しっかり打突することができるようになり、足さばきもよくなり、しっかり左足にためが効くようになりました。左半身で面打ちができるようになりました。

その結果が今回の合格につながったと思います。

これまで兵庫県剣道連盟の先生方、高砂市剣道連盟ならびに竜東館の先生方をはじめ、たくさんの方にご指導を受けましたことに感謝を申し上げます。この場をお借りして御礼申し上げます。ありがとうございました。

年齢は合格時