第115回全日本剣道演武大会最終日|心に響いた20番【前編】教士の部10番

5月3日、剣道の部開始式
試合リポート

立合だからこそ輝く剣士がいる。試合でも立合でも輝く剣士がいる

恒例の全日本剣道演武大会が今年もGWに開催された。明治28年に発足した大日本武徳会が武徳祭大演武会として創設し、大正、昭和前期を経て、戦後からは全日本剣道連盟が引き継ぐ形で昭和の後半、平成の間連綿と続いて、今回が令和の始まりを告げる大会となった。戦中戦後の中断期間を除き115回目を数える。

筆者が本大会を昭和の終わりから見続けてきていつも考えさせられるのが、この大会における立合と他の大会における試合との違いである。範士の立合は一本の判定をしないので当然ともいえるが、教士以下であっても、この舞台で輝くためには試合とは少し違った気持ちで臨まなければならないのではないだろうか。この大会で輝く剣士と、たとえば八段大会で優勝するような剣士は少し違っている。そしてまれに両大会で輝く剣士もいる。

想像だが、2分にも満たない時間の中で自分の技術を発揮するためには、守る、防ぐという意識を捨てる必要がある。他の試合のように何分かかっても粘って勝てばいいという気持ちでは一本が生まれない。しかも対戦相手も同じ意識でないと一本は生まれないだろう。見事に打つ、だけではなく、見事に打たれる、ことも示すことのできる剣士がこの舞台では輝きを放つように感じている。

普段の稽古に近いとも言えるが、まったく同じではない。あるいは昇段審査にも近いかもしれない。

試合で勝つことを目標にして剣道に取り組むことは悪いことではない。現在の剣道界の中では当然だと思う。だから以上のようなことを理解できないし、時期的なこともあって本大会には出場していない七段以上の強豪剣士もいて当たり前だろう。ただ、このやり方が剣道の大会のもともとの形であったことは覚えておきたい。

剣道の大本山である大日本武徳会では明治から昭和前期まで、青年を除いてトーナメントによる試合は主催していなかった。高段者はこの演武大会における1試合のパフォーマンスで評価されていたのである。明治32年に建てられた武徳殿の中で立合を見ていると、明治の人たちが求めたそんな剣道の姿が見えてくるような気がする。

そんな視点から選んだ、最終日(5月5日)の立合のうち20番を紹介する。公平に見て優れた立合を選んだというわけではなく、あくまで筆者の印象に残った立合である。写真が撮れずに内容は良かったが割愛したものもある。前編は教士編。

■教士八段 保坂武志(埼玉)×國友秀三(福岡)

高校の指導者同士の立合となった。静かな剣先の争いがひとしきり続き、意を決して両者が出ると、初太刀で保坂教士のメンが國友教士をとらえた。

二本目、またも両者同じようにメンに出る。これは國友教士に分があるようにも見えたが互角だったか、あるいは部位をとらえていなかったか、決まり技にはならない。

次の機会は両者がコテに出た(写真)。國友教士の仕掛けが早かったようだが、保坂教士はそこからすかさずメンに渡り、二本目を奪った。

両者がすべての打突を打ち切って、結果は保坂教士の二本勝ちだが、まったく無駄打ちのない立合だった。

保坂教士×國友教士|二本目は互いにコテに出たが、左の保坂教士がここからメンに渡って決めた

■教士八段 竹内司(岡山)×数馬広二(東京)

4月の全日本選抜八段優勝大会で3位入賞を果たした竹内教士が、京都の舞台でも見事なパフォーマンスを披露した。

昨年5月に八段となってから初の演武となる数馬教士が慎重に機会を探るのに対し、竹内教士が初太刀で捨て切ったメンを放つ。さらに二合目も竹内教士が打っていった。

そして数馬教士がコテから攻めていくと、竹内教士はコテを合わせメンに渡っていく。これがものの見事に決まった(写真)。

二本目となってからも慎重に機をうかがう数馬教士に対し、竹内教士が真っ向から打ち破るように打ち切っていく。ほどなく鮮やかにコテを決め、二本勝ちを果たした。竹内教士が教士八段の部の前半では出色の剣道を見せた。

竹内教士×数馬教士|竹内教士がコテメンの連続技で一本目を奪った

■教士八段 上野篤良(兵庫)×門野政人(東京)

警察官の上野教士は昨年11月に昇段し八段として初めての立合。対する門野教士は中学高校教員としてのキャリアが長い。

初太刀、門野教士が機会と見てメンに出ると、上野教士はきれいにドウに返した(写真)。お手本になるような体さばきでのドウが決まった。

二本目となり、門野教士が出ようとするも、上野教士が前に出て封じる。間もなく上野教士がメンに跳ぶと、一本目とは逆に門野教士がドウにさばこうとしたが間に合わず、上野教士のメンが決まる。おそらく普段どおりの力を発揮したであろう上野教士が反応のよさとスピードで勝り、二本勝ちを収めた。

上野教士×門野教士|上野教士が初太刀で返しドウを奪う

■教士八段 北村真一(愛知)×宮崎史裕(神奈川)

警察官同士の立合。上段に構える北村教士は、対峙して一度軽く相手の竹刀を叩いたあと、片手メンを思い切りよく打ち切ると、これが見事な一本となった(写真)。

二本目となり宮崎教士がコテなどを狙っていくも不発。北村教士もコテを狙うなど、何度か打ち合いがあったがその後は有効打は生まれず、北村教士が一本勝ちを収めた。

上段の剣士は、この大会から個性が消えつつある中で、貴重な存在であると思う。現役時代に輝かしい戦績を残した宮崎教士を上段からの一撃で下した北村教士のパフォーマンスは目を引いた。

北村教士×宮崎教士|北村教士が開始早々に片手メンを決めた

■教士八段 西田徹三(福岡)×永松教孝(埼玉)

会社員同士の立合となった。西田教士は昨年5月の八段審査において62歳で合格を果たしている。

初太刀、西田教士が打って出ると永松教士は返してメンを狙うも充分に打てず。そして二合目に永松教士が出るところを、西田教士が出ゴテにとらえた(写真)。

さらに数回竹刀を交えたあと、同じように西田教士が出ゴテを決める。全日本選手権の舞台で戦ってきた警察剣士のような凄みはないのだが、とくに西田教士は相手がよく見えており、地道に稽古を積み上げてきた剣士ならではの味わいがある剣道を見せた。

西田教士×永松教士|西田教士が決めた一本目のコテ

■教士八段 吉田一秀(大阪)×浅野誠一郎(東京)

国士舘大学OBの教員同士の立合となる。初太刀、ともに前に出ると吉田教士のメンが見事に決まった(写真)。

二本目となりまた吉田教士がメンに出る。これも惜しいところを叩く。

その後浅野教士が反撃を開始、コテからメン、メンなどを見せるが、吉田教士が前に出て最後まで充分に打たせなかった。ここでは吉田教士が存分に力を見せた。

吉田教士×浅野教士|初太刀で吉田教士がメンを決めた

■教士八段 山中澄男(京都)×丸橋利夫(千葉)

京都府警の山中教士と国際武道大学教授の丸橋教士が剣を交えた。

開始早々に山中教士はコテからかつぐようにしてメンに伸びると、これが見事な一本となる(写真)。

二本目開始後、丸橋教士がメンを狙うと、山中教士はメンを二回、三回と連打。その後、丸橋教士が相手の竹刀を巻くようにすると逆に丸橋教士が打っていくなど、丁々発止のやり取りもあったが、決まり技にはつながらなかった。

■教士八段 三條貞夫(山形)×大辻幸正(奈良)

昨年秋の八段審査で最高齢となる66歳で合格を果たした三條教士。一方警察官だった大辻教士は今年66歳で年齢は近いが、48歳で八段になり20年近くが経つ。三條教士はこの立合の前にも平野勝則教士(東京)との立合を行なっており、二回目の登場となった。

初太刀は大辻教士がコテから攻めていく。二合目、三條教士が大きくメンにいく(写真)。平野教士との立合でもこのメンを再三繰り出していたが、あと一歩のところで有効打とはならなかった。しかし、基本に忠実なメン技は、三條教士が最高齢で八段に合格した理由を教えてくれているように思えた。こんな打突が八段には求められている、という見本のようだった。

立合はその後、決まり技なく引き分けとなる。

三條教士×大辻教士|序盤に三條教士が放ったメンは、やや浅く決まり技にはならなかった

■教士八段 西久保誠(鹿児島)×加治屋速人(埼玉)

2001年5月に同時に八段昇段を果たした2人の立合である。

初太刀、西久保教士が鋭いコテを放ち流れをつかむと、二合目にも惜しい技を繰り出し、三合目で加治屋教士の出ばなをコテに切った。

二本目となり、加治屋教士がメンに行くと、西久保教士がドウに返して決めてみせた(写真)。相手がよく見えていた西久保教士が、この立合では加治屋教士を完全に封じた。

西久保教士×加治屋教士|西久保教士がドウを決めて二本勝ちを収める

■教士八段 津田正臣(広島)×千葉胤道(東京)

東京都剣道連盟会長の千葉教士と、広島県剣道連盟副会長の津田教士による立合となった。

初太刀、千葉教士のメンを津田教士がドウに返すが、体さばきが充分にできなかったが惜しくも一本とはならない。

すると、続く二合目で津田教士はメンに跳び込み、見事な一本とした(写真)。

その後、一度打ち合ったところで立合は終わる。無駄打ちなく、かつ体さばき、剣さばきも鋭い津田教士が、年齢の高い教士八段の部後半では随一の輝きを放った。

津田教士×千葉教士|津田教士がメンを決めた