全日本選手権の改革とともに、宮崎時代始まる・宮崎正裕(1990年 全日本選手権大会)
大会で10年ぶりに生まれた20代の優勝者 昭和59年から全日本選手権には「六段以上」の出場資格制限が設けられた。 あまりに勝負に走った「当てっこ剣道」が横行しているからという高段者の意見に沿ったものだったが、それによって…
大会で10年ぶりに生まれた20代の優勝者 昭和59年から全日本選手権には「六段以上」の出場資格制限が設けられた。 あまりに勝負に走った「当てっこ剣道」が横行しているからという高段者の意見に沿ったものだったが、それによって…
北海道が21年ぶりの優勝を果たす 本大会がまだ5人制だった平成6年、7年、9年の3回に渡って北海道は優勝しており、この時期黄金期を迎えている。 その当時も出場していた栄花直輝が大将をつとめ、当時主に大将をつとめた古川和男…
3連覇は、当時大きな話題になり、今も輝きを失っていない 第二次世界大戦中、戦後の剣道禁止時期、玉竜旗大会(当時は大会の名称が異なる)には中断があったが、中断前の最後の大会となった昭和17年、戦後復活第1回の昭和30年とも…
昭和61年の玉竜旗大会(男子)は、PL学園(大阪)が2年生大将鍋山隆弘の活躍で2度目の優勝。翌年も鍋山を軸に連覇を狙った。 決勝で相対したのは、前年のインターハイ男子決勝でPL学園を下し、女子団体をも制してアベック優勝を…
昭和47年にインターハイ男子団体で初優勝し、計7回優勝を果たしている大阪のPL学園 とくに昭和50年代は八代東(熊本)と並ぶ高校剣道の二強というべき存在だった。 そのPL学園をもってしても九州勢の牙城は高く、最初に玉竜旗…
剣道ナビをご愛読いただきましてありがとうございます。 私、編集長の鈴木は、より剣道を楽しんでいただける記事を提供できるよう心掛けておりますが、 皆様にご満足いただくには努力を重ねる必要があると痛感しております。 そこで、…
抜き勝負で行なわれる玉竜旗の醍醐味は、どんなに劣勢でも大将1人で抜き返せる可能性があること これまで男子の決勝で大将が4人を抜いて逆転優勝したという記録が4度ある。 平成25年、37年ぶり4度目の4人抜きを果たしたのが福…
昭和35年、8回目の全日本選手権で初めて20代の選手が頂点に立った。 それまでの優勝者はすべて30歳以上で、つまり戦前戦中に剣道を経験していた選手だった。 桑原は戦後剣道が解禁になってから剣道を始めた世代である。 このと…
平成24年のインターハイ女子団体決勝は、前年優勝の守谷(茨城)と初優勝を目指す中村学園女子(福岡)の戦いとなった。 平成24年のインターハイ女子団体決勝は、前年優勝の守谷(茨城)と初優勝を目指す中村学園女子(福岡)の戦い…
イギリス・グラスゴーの地で日本代表チームはかつてない緊迫した場面を迎えていた 第12回世界剣道選手権大会団体戦決勝、韓国との対戦は代表戦までもつれ込んだ。 日本対韓国の決勝はこれで6回連続となり、とくに過去2回は大将の勝…