考えながらの技の稽古
当時の龍谷は量より質と言われていたので、切り返しを5回やって、面、小手面体当たりひき胴、面、抜き胴、面の短いかかり稽古をやったら、あと1時間ちょっとは各自技の練習になるんです。
そのあと20分休憩し、ひき技の練習が15分、最後の45分が回りながらの地稽古になります。
最長3時間、時期によっては2時間ぐらいの稽古時間で、テスト期間は30分稽古してあとは勉強会でした。
1時間ちょっとの技の練習は、元立ちと何を打つか申し合わせてやるのですが、普通に「ヤー、メン」って、面を何本か打つだけならたぶん1分かからずに終わるところを、攻めや打ち方を考えながら打つので、1回が非常に長いんです。
ちょっとうまくいかないとかしっくりこないときは、その場で軌道を確認したり、元立ちに聞いてイメージをつくったりするので、あっという間に5分ぐらい経つんです。
そういう意味では高校の練習としては特殊だったと思うのですが、では三雲の剣道は何かと言われれば、私にとってはこの「考える稽古」なんです。
当時の考えてやる稽古が今も生きていると思いますし、そういう練習をやっていてよかったなと思います。
他校の練習を知らなかったので、高校当時は自分たちの練習が変わっているという意識はなかったのですが、明治大学に入ってから、私たちの練習量がいかに足りなかったかを実感しました。
明治大学はまったく逆で切り返し、かかり稽古中心だったので、半年で14~15キロ痩せました。まわりのみんなが高校の時と変わらないぐらいなんて言っているのが信じられませんでした。
■「お前は打つな」という指導の真意
西村先生の指導は、今思い返せばほかにも斬新なことばかりです。
剣道の試合では「打っていけ」という指示をするのが普通だと思うのですが、私がレギュラーに入る少し前に、「お前は打つな」と言われたんです。
それでしばらくは打たないで、よけるしかないのでよけてばかりいました。
当然勝ってはいないんですが、そうやって先生の言うことを聞いていたら、先ほどお話した8人登録の8番目で入れてもらったんです。
どういう意味だったのかと考えてみると、立ち上がって、相手がどんなタイプなのか、相手の癖とか攻め方、何を考えているかなど、相手を見て冷静に判断するための練習だったのかと思います。それが選手になったときに役立ったと思います。
それからは、あまりポカをしなくなり、何も考えずに攻めて行って取られたという記憶もないです。
団体戦でいうと先鋒の栗山が8割9割勝ってきますが、たまに負けてくることがある。そのときに次鋒の私も続けて負けたということは一回もないです。最低でもプラスマイナス0で、という仕事はできていたと思います。
また、自分は中学生のときはガンガン攻めていっていたので、勝つことが多かったが負けることもあった、ということもあったと思います。
西村先生は7勝3敗よりも3勝7分というような、勝つというより負けないことを優先されていました。そんな練習をした結果、高校のときは逆に攻めに行かなすぎるぐらいの剣道になりました。
東レに入って攻撃のウェイトが増えたので、今がちょうどバランスがいいかもしれませんね。
■稽古は特殊だけど合っていた
「見切り」と呼ばれる練習も変わっていました。
入部した初日の合宿でもやっていたのですが、一方が全力で面を打っていくのですが、それに対して構えて攻めの体勢を保ったまま足を使って下がって見切る、という練習です。これは間合を取るのに今も生きていると思います。
朝練は1年生のときにはあったのですが、3年のときにはなくなりました。
自分たちの学年の7人中5人が普通科文理コースだったのですが、文理コースになると0時限という授業があって朝練に出られない。そうすると朝練に出られる3年生が2人になってしまうという事情がありました。
また、週に2回筋力トレーニングの日があって、その日は筋トレだけで1時間半か2時間ぐらい使い、最後の1時間だけ地稽古をします。学年ごとにずらして筋トレの日がありました。
月に1回ぐらい専門のトレーナーの方に来ていただいて、時期によって試合がないときのトレーニング、試合に向けてのトレーニングなど、違うメニューを組んでいただき、それに従ってやっていました。
トレーニングをしたことで、体が全然違ってきました。
私は本当に力がなかったのですが、ベンチプレスもやりだしたらプラス12キロぐらいの重さを挙げられるようになりましたし、体重も急激に10キロぐらい増え、体脂肪は5~6%ぐらいになりました。
それまで負けている印象があったつばぜり合いの場面で違いを実感しましたし、打突のときの体の出方もガラッと変わってきました。
龍谷高校の稽古は特殊だったと思いますが、自分にはすごく合っていました。
■夢だった玉竜旗、そしてインターハイで優勝
同時に女子も優勝を果たし、個人戦では男子4の出場枠を西村、川﨑、三雲、山口の龍谷勢4人が独占。女子も4名中2名を占めた。
7月の全九州高等学校剣道大会では決勝で九州学院(熊本)を下して優勝。
玉竜旗大会準決勝では3連覇を狙ったその九州学院を三雲の活躍で下すと、決勝では佐賀予選3位の悔しさをぶつけてきた三養基との県内ライバル対決を制した。
そしてインターハイ本大会、個人戦では三雲が3回戦、川﨑が4回戦、西村がベスト8とそれぞれ勝ち進み、団体のレギュラーではない山口が3位という快挙。
団体戦では予選リーグ2試合を5―0で終えると、トーナメントに進んでからも他を寄せ付けない試合展開で勝ち進み、準決勝では九州学院を4─1で返り討ちにする。
決勝も栗山、三雲が連勝、副将川﨑の勝利で3―1で和歌山東(和歌山)を下し、頂点に立った。
佐賀インターハイで優勝するというのが目標で、集大成だったので、今振り返って率直に優勝できたのはすごくうれしいことですし、あんな強豪メンバーの中で選手として出場できたことがうれしかったと思っています。
インターハイの前に玉竜旗で優勝することができたのですが、自分の中で玉竜旗は小学1年生のときからの夢だったんです。小学1年のときに初めて玉竜旗を見に行きまして、先ほど述べましたように父がすごく熱心なこともあり最終日は毎年必ず見に行っていたんです。いつかはあの舞台に立ちたいという思いがすごくあったので、そこで試合ができて、なおかつ優勝できたっていうのはすごくいい思い出です。
決勝では自分は負けてしまったんですが、九州学院との準決勝で、先鋒同士が引き分けて次鋒同士の対戦になり、そこから大将まで引き出すことができました。大将には負けたんですが、そういう大舞台で結果を出せたことがうれしかったです。
西村先生は怖かったですが優しい先生でした。厳しいときは厳しかったですが、試合をするときに先生が監督席にいると、心強くなり、自信を持って試合に挑めました。
練習試合のとき、試合後にアドバイスをもらいに行くと「うん、よか」が口癖でしたね。
長男の西村龍太郎がいることもあって、先生の家に泊まらせていただくこともよくありました。お父さんの一面も見られたので貴重でした。
玉竜旗で優勝したときは、「やったー」といううれしい気持ちと、信じられない気持ちが混じっていましたが、私たちも西村先生も泣きませんでした。
インターハイの優勝が決まって、選手一人ひとりと無言で握手したとき、私も涙目になっていましたが、たぶん先生も泣いていました。あの手の感触は今でも忘れません。大きい手でしたね。もちろん怒るときは怖かったですけれど、本当にいい先生だったと思います。
先生が亡くなったのは私が大学4年のときです。大分の代表で全日本都道府県対抗大会に出させていただいたのですが、その大会の1週間前に亡くなられました。大会では大分が35年ぶりの優勝を成し遂げました。西村先生がくださった優勝なのかなと思っています。
■近況~体調不良とそこからの復帰
「良性発作性頭囲性めまい症」という病名で会社も10日間休んだうえ、出勤状況も安定しない日々がしばらく続き、結局実質6カ月ほど稽古を休むことになった。
その間に9月の全日本実業団大会で東レ滋賀は2位という戦績を収めているが、そのメンバーの中に三雲さんの名前はなく、それまで務めていたキャプテンもいったん下りることになった。
大会に復帰したのは2018年2月に行なわれた全日本都道府県対抗大会の滋賀予選。8カ月ぶりとなった復帰戦を三雲さんは優勝で飾った。決まり技はほぼ面だったという。
いやぁ、長かったですね……また剣道ができるということだけでうれしかったので、まさか優勝できるとは思いませんでした。
勝ちたいという気持ちがなく、無欲だったので捨て切った面が出たと思います。
体はまだ全然完調ではないのに、勝負どころで捨て切ることができたのは、高校時代に培っていた、相手を冷静に見て自分がここだと思うところで行くという練習を活かせたのかなと思います。高校時代の考える稽古を積んでなかったらここまでの結果が出せなかったと思います。
去年は国体予選も全日本選手権予選も全部出ていません。全日本実業団大会の日はスーツを着てお弁当の手配とか先生方の席取りとかをしていたのですが、そういう経験をして改めて選手だけの力では実業団で優勝することはできないと感じました。2位という結果はうれしい反面、自分がその場に立てなかったという悔しさもありましたが、逆にいい経験をさせていただいたと今は思っています。
病気をして職場の皆さんにもサポートをいただき、剣道部では監督や先生方から剣道のことは気にせず自分のことに集中しろと言っていただいたし、家族や両親をはじめいろいろな方々に、苦しいときに暖かく見守ってもらったことで復帰できたという思いがあります。
本当に感謝感謝の一年でしたね。だからこの優勝は、久しぶりに涙でうるんだ、最近では一番嬉しい優勝になりました。まったく次元は違いますけど、(フィギュアスケートの)羽生(結弦)選手の気持ちがすごくわかります。
全日本都道府県対抗大会(平成30年4月29日)では、1回戦で佐賀と対戦することになりました。相手の永山貴大選手は龍谷高校、明治大学の1学年下でともに稽古した仲間です。これもまた何かの縁だと思います。ではもちろんまだ万全ではなく、これからが勝負、今年が勝負になってくると思うので、生まれ変わった三雲の名を馳せることができるように、精進しご指導をいただきながら頑張りたいと思います。
※本稿は平成30年3月8日、取材当時のデータに基づいています。