3月2日 育英高校剣道場
昨年のインターハイは5連覇を目指した九州学院(熊本)が決勝トーナメント1回戦で敗れる中、育英は準々決勝まで駒を進めるも佐野日大(栃木)に敗退した。
先鋒大津遼馬、次鋒福岡錬が敗れた後、中堅榊原彬人が一本を奪って反撃ののろしを上げたが、副将松澤尚輝と大将横藤竜平は引き分けに終わった。
このチームは直前の玉竜旗大会で3位入賞を果たしている。育英として初の3位だった。6回戦では地元福岡の福大大濠を破った。
「玉竜旗は難しい大会。いつも地元と当たったらもう帰る計算をしています」
と笑う飯田監督に取って予想以上の好成績だったようだ。福大大濠の後、インターハイでは3位となる本庄第一(埼玉)、インターハイで九州学院を破る水戸葵陵(茨城)に勝って準決勝に進み、準決勝はインターハイで優勝する高千穂(宮崎)に対しリードを奪うも、相手の大将清家羅偉に副将松澤と大将横藤が抜かれた。
「(玉竜旗は)次の九学のことばっかり考えていて、清家にやられて負けたという感じ。インターハイは、佐野日大も怖かったけど次絶対高千穂との勝負だと思っていたら、大関(利治・佐野日大監督)君にやられました」
と飯田監督は本音をあっけらかんと吐露する。
昨年まではどこが九州学院を破るかが高校剣道界の焦点になっていた。記者個人の見方だが、今シーズンは九州学院をはじめ、上にもあげた水戸葵陵、福大大濠、佐野日大、そのほか育英も含めた7~8校にチャンスがあるのではないだろうか。
今シーズンの育英は経験豊富な選手がまるごと残っているチームである。昨年のインターハイでレギュラーを務めた5人のうち、横藤を除く4名は当時2年生だった。
「今のチームも、私が全国のベスト5なりベスト6と思っている相手と結構いい勝負しているから、本番はやってみなければ分からないけれども、勝ってもおかしくないとは思ってる。とにかく8月12日まで日本一を目指してやって、13日からは浦先生に引き渡すつもりです」
育英高校は62歳で定年となる。教え子でもある浦一樹氏が顧問としてともに指導に携わっており、定年になった後も再任用や外部指導者として監督を続ける例も多いが、飯田監督は次のシーズンは浦監督に渡すつもりでいる。まさに最後の春そして夏を迎えようとしている。
■一番怖いのは県予選
今回の取材をお願いするに当たって、飯田監督が危惧していたのは兵庫県の予選で敗れる可能性もあるということだった。それでは記事にならないのではないかと。昨年まで14年連続で県代表になっているのに、である。
「一番怖いのは県内です。県内は旗の重さが変わってくるから。たまたま一本取られたことで、勢いというか気合というか、そういう面で変わってくることが高校生にはあるので。だから予選はすごくビビっている。もともとが小心者なんです(笑)」
インターハイは連続で出場しているが、県の新人戦では5年ほど前まで4年連続で敗れ、全国選抜に出られなかったことがあるという。決勝まで行けずにベスト8で負けたこともある。
しかし、逆にその時期に夏のインターハイ本大会では3位が2回続いた(平成24年、25年)。さらにその翌年は山田将也らを擁し全国選抜大会に出場、予選リーグで敗れたが、夏のインターハイでは過去最高の準優勝を果たしている。インターハイではこの年まで3年連続入賞と好成績が続いた。
その後27年、28年のインターハイは予選リーグで敗退し、昨年は前述の通りベスト8だった。
「3年前などは選抜でそこそこやっていたのに(九州学院に敗れベスト16)、インターハイは予選リーグで負けた。なぜ負けるかというと、選抜が終わったらホッとしてゆるんでしまう。選抜に出られないときは夏しかないということで一生懸命やっているから地力がついたのかな……」
「兵庫の場合11月の頭に新人戦がある(選抜大会予選を兼ねる)ので、負ければインターハイまで9カ月もありますから。だから今年も選抜終わったらすぐインターハイ予選だからな、と話はしているのですが、なかなか子どもたちには伝わらないです」
予選が怖い理由はもう一つ。
東洋大姫路との因縁がある。昭和54年に赴任した飯田監督は10年目の昭和63年、地元兵庫県赤穂市でのインターハイに団体戦初出場を果たした。当時兵庫県で強豪として知られていたのが東洋大姫路。予選では育英が赤穂と引き分け、東洋大姫路も赤穂と引き分けた。
地元枠で2校が出場できるが2引き分けの赤穂は出場権を確保し、あとは一校は育英と東洋大姫路の勝った方という状況になった。
「そのときの東洋大姫路の大将が森本(浩歳)。本当に強いチームだったけど、何とか勝つことができて、初出場することができたんです」
本大会でも育英は3位入賞を果たし、全国に名を知られるきっかけとなった大会だった。その東洋大姫路の森本選手は社会人となって長く中学校の教員を務めていたが、数年前に東洋大姫路の監督に就任したのである。
「私が若い頃は、県内では東洋大姫路の岩切紀一郎先生にお願いして練習試合をさせていただいた。私が高校の時もすでに監督をしていて、角刈りで怖いな、カッコイイなと思った先生でしたが、快く受け入れてくださって非常に恩を感じています。」
「その岩切先生の教え子であり、インターハイでの因縁がある森本先生が監督で、今度は彼が私に恩返しをする番ってことになるかもしれない……。もし負けたらやっぱりまだやるって言って8月13日からも監督しているかもしれんね(笑)」
もちろん東洋大姫路だけでなく、神戸弘陵、関西学院、滝川第二、須磨学園といった強豪も、すべて打倒育英を目標に挑んでくる。どの学校も育英がどんなメンバーであるかを知っているのに対し、こちらはすべての学校のメンバーを細かく把握しているわけではない。何が起こるか分からないと飯田監督は言う。
■頑張った奴、誰もが認める奴がメンバー
関東から九州の高校へ、いや、日本中どこからどこへでも越境して高校に進むことが、現在は当たり前になっている。
その是非を云々する段階ではなく、どれだけ中学までの実績がある選手を集められるかが高校の戦績に直結しているのが現状だ。そんな中で、育英は地元兵庫出身の選手が中心である。声をかけて入学してもらうことはほとんどないという。
「兵庫国体(平成18年)のときに力のある選手が揃わなくて声をかけて来てもらったことはありますね。それと山田(将也)は兵庫で全中大会があったときに審判をしながら見ていて、愛知の洗心道場の内田(信之)先生にお願いしました」
「あとは、今も茨城県で一番だった子が来ているけど声かけたわけではないし、大阪から来ている子もそうです。練習に来たいって言って来てくれて、ああいいなあと思って、考えて下さいって言ったら来てくれた。春に卒業した横藤も京都の久御山中学校ですが、これも声をかけたわけではない。みんな嘘だろうっていうんやけど」
そして選手選考でも、中学までの実績は関係ないという。
「なんせ頑張っている奴、みんなが認める奴を使う。メンバーを私が書いて、浦先生も書いて、選手にも書かせて、パッと照らし合わせる。1年生なんかはまだ違うことがあるけど、2年、3年になったら、まあだいたいピタッと当たります」
3年前現在の大学2年生の代では、兵庫県の中学校大会で1、2、3位の選手が入部したが、最後はその3人がインターハイのメンバーに入れなかったという。ただしその選手たちは夏の近畿高等学校大会に出場させ、優勝を果たしている。
「インターハイに出られない分ここで頑張れって、それで優勝したんです。僕は吉本政美先生(高千穂)や桜間建樹先生(西大寺)に憧れて、吉本先生が選手じゃない子を大切にして、たとえば去年は息子にやられましたが清家(宏一氏・大阪府警)選手のように卒業後に活躍するのを見てきました」
「鹿児島商工の矢崎(時雄)先生も僕が知った時はおじいちゃんでしたが、生徒たちの進路の面倒をよく見ていました。だからそういう先輩たちを見習おうと思っています」
今年のメンバーでは加古川中学時代に全国中学校大会で個人2位になった阿部壮己(2年生)が、まだレギュラーを確保したといえない状況である。昨年の玉竜旗、インターハイともに最初は先鋒で使ったがどちらも途中交代となった。
「玉竜旗でも途中で代え、インターハイでは逃げて逃げてだったので、先鋒でそれだけ逃げたらダメだと言って代えました。今、阿部はうちで7番目か8番目の選手です」
7番目か8番目というのは期待も込めての言葉であろうが……。
阿部の父で加古川中の監督である阿部始郎氏(この人も東洋大姫路出身である)は、毎週育英高校に稽古に訪れるという。
「ともに八段を目指す二人で稽古をしています。僕は大人と稽古する機会がないから。生徒が見てる前で稽古して、なかなかいい稽古になっています。でも、それはそれです」
全国選抜までには、3月10日、11日に鹿児島県での大霧島旗争奪高校剣道錬成大会に出場、その前に九州学院へ立ち寄る。
「デスマッチ」だと飯田監督が言う九州学院との一対一の練習試合は毎年2回、この時期と玉竜旗前に行なっているそうだ。
そして3月18日には第11回近畿高等学校選抜大会がある。第1回大会はレギュラーメンバーで優勝を果たしているが、前述の夏の近畿大会同様、昨年などはレギュラーに入れない3年生を出場させた(2位)。だが、最後の年である今年はベストメンバーで優勝を目指すという。