玉竜旗3連覇の立役者、最後は決勝で4人抜き・池田健二(1958-60 玉竜旗高校大会)
3連覇は、当時大きな話題になり、今も輝きを失っていない 第二次世界大戦中、戦後の剣道禁止時期、玉竜旗大会(当時は大会の名称が異なる)には中断があったが、中断前の最後の大会となった昭和17年、戦後復活第1回の昭和30年とも…
3連覇は、当時大きな話題になり、今も輝きを失っていない 第二次世界大戦中、戦後の剣道禁止時期、玉竜旗大会(当時は大会の名称が異なる)には中断があったが、中断前の最後の大会となった昭和17年、戦後復活第1回の昭和30年とも…
昭和61年の玉竜旗大会(男子)は、PL学園(大阪)が2年生大将鍋山隆弘の活躍で2度目の優勝。翌年も鍋山を軸に連覇を狙った。 決勝で相対したのは、前年のインターハイ男子決勝でPL学園を下し、女子団体をも制してアベック優勝を…
昭和47年にインターハイ男子団体で初優勝し、計7回優勝を果たしている大阪のPL学園 とくに昭和50年代は八代東(熊本)と並ぶ高校剣道の二強というべき存在だった。 そのPL学園をもってしても九州勢の牙城は高く、最初に玉竜旗…
抜き勝負で行なわれる玉竜旗の醍醐味は、どんなに劣勢でも大将1人で抜き返せる可能性があること これまで男子の決勝で大将が4人を抜いて逆転優勝したという記録が4度ある。 平成25年、37年ぶり4度目の4人抜きを果たしたのが福…
昭和35年、8回目の全日本選手権で初めて20代の選手が頂点に立った。 それまでの優勝者はすべて30歳以上で、つまり戦前戦中に剣道を経験していた選手だった。 桑原は戦後剣道が解禁になってから剣道を始めた世代である。 このと…
平成24年のインターハイ女子団体決勝は、前年優勝の守谷(茨城)と初優勝を目指す中村学園女子(福岡)の戦いとなった。 平成24年のインターハイ女子団体決勝は、前年優勝の守谷(茨城)と初優勝を目指す中村学園女子(福岡)の戦い…
イギリス・グラスゴーの地で日本代表チームはかつてない緊迫した場面を迎えていた 第12回世界剣道選手権大会団体戦決勝、韓国との対戦は代表戦までもつれ込んだ。 日本対韓国の決勝はこれで6回連続となり、とくに過去2回は大将の勝…
第10回世界選手権大会は日本対韓国の死闘の始まり 6大会、18年ぶりの日本開催となり、京都で行なわれた第10回世界選手権大会は日本対韓国の死闘の始まりとなった。 大会史上唯一1部と2部に分かれて行なわれた団体戦、一部決勝…
第16回全日本選抜剣道八段優勝大会 2回戦・1回戦 ここでは、この記事の前にお伝えした全日本選抜剣道八段優勝大会の2回戦以下の編集長・鈴木の戦評を写真と一緒にお伝えします。 ■2回戦 ■1回戦
捨て切ったメンで全日本でも八段の頂点に ■戦評 初出場が13名と大幅に選手が入れ替わった本大会。 優勝者は初出場選手の中から生まれた。東京で行なわれる寬仁親王杯剣道八段選抜大会ではすでに3度の優勝を果たしている恩田が、こ…