この大会を30年以上も見続けてきた
第114回全日本剣道演武大会が終了した。剣道の立合は全部で1450組あまり(申込数)。最終日、教士八段以上の番組の中から、印象に残った立合を精選して紹介したい。
この大会の立合について伝えるのは簡単ではない、と『剣道日本』の記者をしている頃から感じ、試行錯誤してきた。
筆者は剣道八段でも範士でもなく、その意味ではそういった剣士たちの本当の凄さや深い所まで理解できるはずがない。
そして単なる勝った負けたを決める立合ではないので、そこにはどうしても主観が入る。
その立合を演じた剣士にコメントをいただいて書いているわけでもない。また、範士八段の部はそもそも一本の判定を行わないし、教士八段の部も相手は1人だけなので、勝敗だけで評すべきではないのがこの大会だろう。
それでも書く資格があるとすれば、この大会を30年以上、もちろんすべての番組ではないが、見続けてきたということだけである。
したがって、ここではあくまで筆者が個人的に惹かれた立合を取り上げ、個人的に感じたことを書いているととらえていただきたい。
また現実的な問題として、角度の問題などで写真が上手く撮れなかったために、内容的に面白くても取り上げなかった立合もある。
そして、現時点でビデオなどで確認はしていないので、後日確認して見間違いがあれば訂正させていただくことをお断りしておきたい。
■教士八段 神﨑浩(大阪)×西村和美(東京)
西村教士が一度、二度と仕掛けた後の、神﨑教士の初太刀だった。
まるで何の前触れもなく、まっすぐなメンが西村教士の頭上を襲う。
この見事なメンで神﨑教士が先制した。
しかし二本目、今度は西村教士が魅せた。
同じように神﨑教士がメンに跳ぶところに、きれいに出ゴテを合わせて一本を返す。
勝負となっての初太刀、今度は両者がコテに出ると、神﨑教士のコテが決まった。
現在の八段剣士たちは防御、というより相手の技を殺して充分にさせない術を心得ている。
以前よりもその能力は平均して上がっているだろう。なぜなら若い頃から多くの試合をこなし、勝つために努力してきたからだ。
三殺法にもあるのだから相手の技を殺すのは当然のことだ。
しかし、思い出してみると20年前、30年前の剣士たちは、それよりも自分の技を出すことをまず優先していたように感じる。
昔、というのは戦前、あるいは戦後間もない頃の剣道ってこんなふうだったのではないかと思わせるような、相手の良さを殺さない立合だった。