選手の性格、育英高校が目指す剣道、そして今後
9月の終わりに育英高校を訪ね、飯田監督にシーズンを振り返ってもらったインタビューの後編。話は選手の性格のことから、育英高校が目指す剣道のこと、そして今後のことに及ぶ。
──(記者)悲願の初優勝はかなわなかったとはいえ、育英高校の歴代のチームと比較してもいい成績を残したチームでした。
そうですね、結果的には。全国選抜だけ奈良大附属さんに負けましたけど(ベスト8)、近畿選抜も優勝、近畿大会(7月)も優勝、魁星旗2番、玉竜旗3番でインターハイ2番だから、それは今までで一番いい成績をあげています。
4年前のインターハイ2位のチームも強かった。山田将也、山崎仁平、坂本慎也、 土井龍らのチームですね。
でもあの子たちは力を出さないときは極端に出さないこともありました。全国選抜で2年連続2位になったとき、岡山幸平とか木立快の頃(2008年〜2009年)の選手の方が地力があったかもしれないけど、インターハイではトーナメント1回戦負けと予選リーグ敗退でしたから。
全試合に自分たちの力を全部出せたのが今年のチームでしたね。
ただ一つ失敗したのが全国選抜で奈良大附属に負けた試合。前4人引き分けて根本君の突きで松澤が吹っ飛んで負けた。
近畿選抜でも対戦し全部引き分けて代表戦で松澤が勝っていた。
全国選抜のあとで奈良大附属と練習試合をしたとき
「根本君が大きくて松澤が苦労したんだから、前で取ればいいじゃないか」
と言ったら前3人で勝っているんです。
近畿大会(7月)もそうでした。
だから、全国大会では大津や阿部、榊原が各ポジョションの役割を果たすことが大事だとずっと言ってきました。
選抜では前の3人が責任逃れをして後ろに回したからそうなったんだと。松澤だって鉄人じゃないんだから負けることもある。
とくに兵庫県大会では大将戦にしたら、反則負けもあるし差し違いもあるかもしれないので、絶対に大将戦にしないということで、それができたわけですが、全国大会では前が無理して取りに行くよりも、大将に回して、松澤がやられたらそれで仕方がないという戦いになってしまっていました。
ただ、玉竜旗では鎌浦(光作)や久住(俊介)を使うことで、鎌浦が1人で勝ったり、久住と2人で5回戦まで終わらせた。
普段は試合に出ていない選手の方がよほど一生懸命試合しているじゃないかということで、そういう仲間の頑張りが、大津、阿部、榊原を成長させたかなとは思います。
──そのメンバー5人は春から不動でした。新チームができたときから最後まで、あるいはインターハイの中で替えようとは思わなかったのでしょうか?
それは全然なかったですね。
インターハイに関して言えば、補欠の2人には1年生2年生を入れて、記録係やプラカードを持つ係にしてもいいくらいでした。
だから(実際にメンバーに入った)久住と松井(奏太)にも「お前たちが試合に出ることはまずない」と言っていました。
去年のインターハイも大津、福岡、榊原、松澤がレギュラーでした。
阿部も途中まで使って替えたので、結局その5人でした。
みんなが年間通していいわけではなく、大津も榊原も福岡もガタガタのときがあったのですが、最終的に8月にどうなるかでしたからね。
久住なんかも本当にいいものを持っているのですが、もう一つ心が弱いところがある。
鎌浦はとても人がよくて、玉竜旗でも頑張りましたが地力が今一つない。
稽古では弱いですから。稽古で力が一番力があるのは榊原なんです。
──松澤選手よりも?
榊原が一番地力はあると思います。榊原、福岡、松澤の順番でしょう。
ただ松澤は心が強いです。それはほかの子には真似ができない。
松澤や鎌浦、松井は本当にいい子なんです。
だから松澤は本当に信頼しきっていました。
ほかの子は、信用していないというわけではないけど、まだまだ子どもなんです。
──そういう心の強さは、もともと持っているものですか?
そうです。私自身が持っていないから分かります(笑)
やっぱり兄弟の構成もあるだろうし、血液型もあるでしょう。
私はAB型なのですが、AB型はダメですね。考えすぎるんでしょう。
その代わり一つ越えたらすごくいいんです。
1試合目がうまくいけばずっと行く。そんな感じがあります。
強いのはO型ですね。
──みんな大学に行ってそれぞれ活躍しそうですね。
松澤は頑張るでしょうし、福岡も私が型にはめすぎているところもあるから、もうちょっとのびのびできるところの方が合うかもしれない。
榊原も気が弱いところを指導者がちゃんと導いてくれたら良くなると思います。
──現在の高校剣道では、自分から積極的に打っていって勝負をするのではなく、一瞬の隙にひき技とか、相手が打ってきたところを狙うという戦い方がむしろ主流になっています。そんな中で育英の選手は前に出てしかけていく剣道を見せてくれた貴重な存在だったと思います。そのあたりはどのように指導しているのでしょうか。
私がいつも言うのは、相打ち、出ばなの剣道、下がらない剣道ということです。
自分はできないんですけど、自分が昇段審査に臨むときもそうしたいな、絶対その方がいいなと思っています。
絶対下がらない、受けない、見ない。そして出頭を打つか、入りばなを打つか、あるいはお互いギリギリまで我慢して「せーの」で相打ちに持っていくぐらいの剣道。
そういう剣道が究極だと思うしカッコいい。それをやらせようと思っていました。
インターハイ予選が終わってからは、そんな練習ばかりしていました。
姫路の武道館に福井や三重の国体チーム、玉島高校などが来て練習試合をしたときに、榊原が先に出かけたのに逃げてドーンと相手の2年生に打たれたのを見て、これではもうダメだと思った。
そこから2カ月間は、構えたら絶対逃げず、相手の来るところを乗る、割って打つという練習をずっとしていました。
それが玉竜旗で木島君(福大大濠・準々決勝)に松澤が打った面だったり、福岡がインターハイで武蔵君(明豊・準々決勝)の出るところに乗った面とかにつながったと思います。
うちの剣道は受けたら負けだと言っています。
受けてしまったら当たらないでも取られることがある。
そうやって打たれもせんのに負けるのが一番恥ずかしい剣道で、前に出て当たらなかったけど勝つ剣道は素晴らしい剣道だって言います。
だからよく受けてたのに取られた、肘だったのに取られたとか言うけど、それは昔から嫌いです。
もちろん受けて当たってないのに旗が上がって負けたことはあります。それで選抜に行けなかったこともある。
だけど、それは
「お前受けたじゃないか。小学生が打ってきたときもお前は受けるのか? 打つやろう? それが力や」
って言うんです。
受けるというのは相手が来るのに対し守ろう、逃げよう、よけようとしているのであって、その時点で負けだと、私は徹底して言っています。
次鋒の阿部は加古川中学で全中の個人戦2位になった選手ですが、もともとが受けよう受けようとする剣道でした。
監督の阿部始郎先生は昔からうちに選手を送ってくれていて今でも稽古仲間ですし、奥さん(都貴子さん)にはうちの子の子守をしてもらったこともあるくらいのお付き合いなので、阿部は小さいときから知っているのですが、なんせ考え方が、打たさないようにして、から始まるので……。それを変えようと苦労してきました。
私が目指していることは、今の高校剣道界では、ちょっと違うかなとも思ってはいます。水戸葵陵高校などは同じようなところを目指していると感じますが……。先日、ある指導者に、他の高校の試合前のアップを見ていたら引っ掛けて打つ小手とひき技ばっかりで、それに対して育英は前に出る技ばかりやっていたと言われました。
先日も大学生の女の子たちに
「育英の剣道が一番きれいですよ」
と言われて
「お前ら上手言うなあ」
なんて笑っていたのですが……。
でも、それがうちの根本と言うか根源と言うか、これで勝ちたいなと思っています。だから負けるときには見事に負けますけどね。
新チームになって、浦(一樹)先生にも絶対にそこだと言っていますし、浦先生もそこを一生懸命教えていると思います。
今の選手たちが苦労しているのは、出ばなを打ちたいと思っているけど、相手が思い切りくると出ばななんか打てるわけない。
半分怖がりながら打とうとしているから、逆に居着いてしまって、反応できないような状況で受けになってしまっている。
下手に受けたらいかん、逃げたらいかんと言っても、まだ彼らのレベルでは遅れるしかないわけです。
そこを今から何カ月かで作らなければいかんのですけれど、兵庫は選抜予選が早くて11月10日には県の大会があり、そこで勝てないと全国選抜に出られません。
11月から3月まで5カ月あればなんぼでも変われるんですけどね。
夏、(兵庫県総体で)16連覇なんて子どもたちは簡単に口に出していますが、それどころではない、県でベスト8ぐらいのレベルだって私は言っています。
今年は私が最後だという思いもあって、例年は5人のレギュラー以外は下級生を補欠として入れていたんですけど、全国選抜も近畿選抜も、近畿大会も玉竜旗も、1、2年生は一切入れずに3年生の鎌浦や松井や久住を入れてやってきましからね。
下級生を3人ぐらいは3年生の練習に入れてやってきましたが、やはり全然地力がないから、新チームになってからも負け続けているんです。
先日も鹿屋杯(鹿屋杯全国高等学校選抜剣道錬成大会)で鹿児島まで行って、同じ兵庫の東洋大姫路さんに負けて帰ってきました。それも次鋒から中3人が負けて。
東洋大姫路は九州学院に負けて3位、女子は三養基に負けたけど2位。えらい勢いがあります。
国体は負けたらから今年はないんですけど、例年だったら新チームになるのが本当のところ10月から。
よその(インターハイに出場しなかった)チームは6月の10日ぐらいから新チームでやっているし、うちは1、2年生の経験値というのがあまりにも違いすぎるから、本当に大変なんです。
ですから、何とかできるだけのことはやらなければと思っています。
──新チームの話が出ましたが、平成30年度が飯田監督のラストシーズンということで取材してきました。来年度以降は離れるのでしょうか? それとも何らかの立場で関わるのでしょうか?
来年度はあくまで浦先生がやるのですが、何とか強力にバックアップができたらいいなと思っています。
どこの学校を見ても、新旧変わるのがむずかしいから、あんまり出しゃばらず、かといって離れず。
浦先生もだいたい私と同じ考えでやってくれていると思うので。
「来年もされるんですか、されないんですか?されないんだったら行きません」
という中学生と保護者の方がたくさんいて、もうやると言わないと誰も来ないような気がするので、学校には何らかの形で残ります。
育英高校に行ったらなんとかなると思って来てくれる子たちに応えようと思えば、残るしかないかなと。
今回残念な結果になったので、もういっぺんやろうかという気持ちでいます。
インターハイが終わった翌日、飯田監督は右肩に違和感を覚えた。頭の後ろで面紐を結ぶことができないほどだったという。
レントゲンでは何も異常は見つからなかったが、MRIの検査で肩の腱板が切れていることが分かった。
それまでは夢中で気づかなかったので、いつ切れたかも分からない。
しかし11月には前述の県大会があり、12月までは生徒たちにとって大事な時期なので、年明けに手術をする予定だ。
11月末にはそのままの状態で自らの八段審査にも臨むそうだ。
戦いの日々はこれまでと同じように、あるいは飯田監督にとっては少し違う心境で臨むことになるのかもしれないが、とにかく続いていく。
飯田監督にとって一区切りとなるシーズンをつぶさに見てきた。
インターハイ優勝にあと半歩まで迫る姿を目にすることができ、こちらもワクワクさせられたが、その反面、その半歩がとても長いことをも感じさせられた。
足を運べない大会もあったが、一つのチームを半年間追うという経験は初めてで、書き手として新たな視点から剣道を見つめる機会にもなった。
機会を与えてくれた飯田監督と育英高校の選手たちに感謝したい。