8月9〜12日、インターハイ
今年のインターハイの舞台は三重県伊勢市の三重県営サンアリーナである。開会式が行なわれる8月9日に会場入りすると、受付の前で飯田良平監督に出くわした。
関係者や他校の監督らと陽気に言葉を交わす、いつも通りの飯田監督に見えた。記者の方が意気込んでしまい「とうとう来ましたね」などと口走っていた。
10日はまず女子団体戦が行なわれ、その後で男子の個人戦が始まった。育英高校からは兵庫県大会で優勝した松澤尚輝と準優勝の福岡錬が登場する。
先に試合の順番が回ってきたのは福岡だった。大内朝陽(仙台育英)との1回戦、相手が逆ドウに来るところによくタイミングを見てメンを痛打し、一本勝ちを収める。
松澤は1回戦で三重総合(大分)の田嶋祐輔と対戦。延長に入っての初太刀、ともにメンに出ると、旗は田嶋に上がる。
おそらく田嶋の竹刀は打突部位をとらえていなかったが、メンが有効となる。上位進出も期待された松澤だったが、1回戦であっけなく姿を消すことになった。
福岡は2回戦で上健士郎と対戦、直接の相手ではないが翌日団体戦でも対戦することになる鹿児島商業の先鋒である。持久戦となったが、14分あまりで福岡が上の手元が上がったところをコテにとらえた。
続く3回戦も延長となるが、ひきメンを決めて谷口貴大(敦賀)を下す。あと1勝すれば最終日の準々決勝というところまで勝ち進んだ。
4回戦の相手は最終的に優勝を果たすことになる大平翔士(佐野日大)。10分を超える試合となり、大平に得意のひきメンを奪われ、福岡はここで敗退。
とはいえ、福岡の戦いぶりは状態の良さを感じさせた。
インターハイの場合、個人戦と団体戦の両方で勝ち進むと、最終日が息をつく暇もなくなる。もちろん両部門で勝ち進む選手もいるが、個人戦で早めに敗れることは団体戦のためにはプラスととらえることもできる。
とはいえ、1回戦で敗れた松澤のショックは大きかったと、翌日の朝飯田良平監督が言う。団体戦への影響も心配するほどだったというが、松澤本人は最終日の試合が終わった後でこう振り返っていた。
「個人でも日本一を目指していたので、すごいショックだったんですけど、でも飯田先生にも言われて、このまま自分が落ち込んでいたらチームの雰囲気も悪くなって次の日の団体戦にも影響が出てくるので、そこですぐに切り替えて、絶対日本一になろうと思いました」
九州学院の大将重黒木祐介も、個人戦では4回戦で島原(長崎)の黒川雄大に敗れた。
■不動のメンバーで挑んだ予選リーグ
予選リーグ初戦の相手は長野日大(長野)だった。育英のオーダーは予想通り先鋒から大津遼馬、阿部壮己、榊原彬人、福岡錬、松澤尚輝。補欠として久住俊介と松井奏太が入った。玉竜旗で活躍した鎌浦光作は外れて松井が入っている。
大津はやや固さも感じられたが中盤過ぎぐらいにひきメンを奪い、一本勝ち。阿部はメンに跳び込んで先制すると、さらにもう一本メンを決め、好調さを感じさせた。
一気に決めたい中堅榊原はメンを先制した後、相手にメンに跳び込まれ追いつかれるも、ひきメンを奪ってきちんと勝負を決めてみせた。
福岡も一本を先取した後追いつかれるがひきメンを決め勝利、松澤も延長になったがコテを決めた。結局5人全員が勝ち星をあげ、まずは上々のスタートを切った。
大社(島根)との2試合目は一転して競った展開となった。大津が引き分けのあと、阿部が中断があって再開したところから狙い打ちのようなドウを決め一本勝ちで先行する。しかし中堅榊原が鶴原哲也にコテを奪われ1勝1敗と追いつかれてしまう。
副将福岡は延長に入ってからは無理をしなかった印象で同点で松澤につなぐ。松澤に勝負がかかる場面が早くも訪れたが、松澤は惜しいひきメンを何度か見せた後、出ゴテを決める。
残り時間が少ない中、対する加藤大征もさほど有効な攻めを繰り出せず、終了の笛が鳴った。
大将戦に持ち込まれたとはいえ、ある意味では何度も繰り返してきた勝ちパターンであり、松澤も個人戦敗退の影響を感じさせず、内容的には危なげない戦いぶりを見せた。競った試合だったが、そのことで逆に一抹の不安を払拭したような大社戦だった。
予選リーグが終了してから行なわれた決勝トーナメントの組み合わせ抽選会。育英は右下のブロックに入り、1回戦の相手は鹿児島商業(鹿児島)となった。
準々決勝は高千穂(宮崎)×明豊(大分)の勝者。九州勢との対決が続く、激戦のブロックと言っていいだろう。
しかしそれ以上に激戦となったのが左上のブロックで、王座奪回を狙う九州学院(熊本)と玉竜旗優勝の島原(長崎)が順当にいけば準々決勝で対戦。
しかも島原の1回戦の相手は手強い磐田東(静岡)である。育英としては九州学院、島原とは決勝まで当たらないという組み合わせだった。
■試合を重ねるごとに強くなっていった最終日
8月12日の最終日は目まぐるしく試合が続く。個人戦男女準々決勝、女子団体の決勝トーナメント1回戦が行なわれた後で、男子団体決勝トーナメント1回戦が始まった。
鹿児島商業に対し、先鋒の大津が引き分けた後、阿部が肱岡駿季と対戦。積極的な試合を見せる肱岡だけに逆に取るチャンスもあると思われたが、相メンに行ったところで微妙な場面ながら肱岡の有効打突となった。
そのまま試合が終了。好調だった阿部が敗れて育英が初めて相手にリードを許す。
しかし、前の試合で敗れている榊原がここで取り返す。序盤に切れ味鋭いメンを決め、そのまま勝利を収め同点とした。
こうなると後ろの2人はまったく不安を感じさせなかった。福岡が試合中盤にメンを決めて一本勝ちを収めリードを奪うと、松澤も試合中盤に出ゴテを決め3─1とした。
準々決勝。明豊は春の全国選抜大会では代表戦の末に勝った相手であるが、今回は快勝と言っていい結果だった。
大津が引き分けのあと、阿部、榊原がともにメンを決めて一本勝ち、福岡も延長にはなったが武蔵治斗の竹刀が折れる勢いでメンに跳び込み、3─0と試合を決めた。
これまでの福岡はこういう場面で無理をせず、引き分けで終える場面が多く見られた。予選リーグの大社戦では無理をせず松澤に任せた印象だった。
それが副将の役割とも言えるのだが、この日は鹿児島商業戦といいこの試合といい、迷いなく一本を奪いに行く姿勢が見えた。
準決勝は東福岡(福岡)との対戦となった。3試合連続で九州勢との対戦である。昨年度はともに2年生が中心で3年生1人という構成で、今年は当時からレギュラーの選手が中心という、似た者同士の対戦である。
大津が対する和田晃貴の竹刀落としなどによる反則で一本を得て勝利を手にすると、阿部がメンを奪った後相手のコテが外れたところにメン。
阿部は1回戦ではやや不運な敗退を喫したが大会を通じてポイントゲッターの役割をよく果たしていた。榊原は活発な打ち合いの末引き分けたが、福岡が原光生のコテを抜いてものの見事にメンを決め一本勝ち、勝負を決めた。
松澤も一本勝ちで続き、準決勝に及んで4─0というスコアで快勝を収めた。
単純にスコアだけを見ても、育英は試合を重ねるごとに調子を上げていった。決して組み合わせに恵まれたわけでもなく、実力差がある相手でもないのだが、チームとして完全に波に乗ったように見えた。
「風が吹いていたような気がしました」
と飯田監督は試合後に語っている。
■警戒していた重黒木のひきメンが……
決勝で対戦することになったのは、やはり九州学院(熊本)だった。
玉竜旗で敗れた島原には3─0で快勝といっていい結果だったが、準決勝では奈良大附属(奈良)に対し0─2とリードされる。
そこから副将小川大輝と大将重黒木がともに二本勝ちして引っくり返し、育英とは対照的に激戦を経て決勝に進んだ。
決勝の展開は、飯田監督にとって理想的とは言わないまでもそれに近いものだったのではないか。
中堅戦で榊原が池内暢斗にドウを奪われたが、福岡が目の覚めるようなひきメンを小川大輝に浴びせ、同点とはいえ流れを育英にグッと引き寄せて松澤につないだ。
リードして松澤につなげれば理想だが、福岡で勝負を決めてしまうというところまでは望んでいなかっただろう。
試合が終わって、飯田監督はこんな言葉を発した。
「……届きそうで届かない。福岡が打った時点で、ああ、これはうちに来たと思ったですけど、そんなに甘くないですね」
松澤が重黒木に得意とするひきメンを決められたのは、延長が始まって1分34秒だった。仕切り直して代表戦かと見る者も思い始めたところだった。
飯田監督も、「たぶん代表戦になっていっぺん竹刀を置いて、という感じじゃないかと……」と思ったというが、松澤本人にはそれはなかったようだ。
「いつ打ってくるか分からないので自分は気を入れていたんですけど、最後は重黒木君に崩されて反応できませんでした。重黒木君と玉竜旗で戦ったときに、自分はひき技を警戒していて、出してこなかった。今回も出してこないなと思っていたのですが、最後はうまく……」
「あそこで起こりを見せずというか、一瞬で出し切る重黒木君の素晴らしさですね。福岡が個人戦でやられた大平君(佐野日大・個人戦優勝)もそうですけれど、間合ではなくつばぜり合いからの技が、やっぱりうちの子たちよりも上手いですね。うちの子たちは何かをして作って打つ、ですけれども、彼らは瞬間的にパッと持っていく。身体能力というか、背筋力の差なのか……」
と飯田監督。
3月の魁星旗では松澤が重黒木に勝ち、7月の玉竜旗では敗れ、今回も敗れた。
力の差があるわけではない。この連載で紹介してきたように両チームは恒例の一対一での「デスマッチ」など数多くの練習試合をこなしてきた中で、松澤の方が重黒木よりも少しだけ分がよかったと当事者たちは言う。
「相性は、ちょっと松澤の方が分があるかなと私は思っていましたから。だけどやっぱり九学の大将ですね」
と飯田監督。
「練習試合だと少し勝っている方が多いかもしれないですけれど、大会になったら重黒木君の方が気持ちも剣道も上回ってよい技を出していたなあと……」
と松澤。そして相手の重黒木はこう話した。
「自分は松澤君に練習試合では負けたりしていたので、そういう負けから勝ちが生まれたなと。(代表戦になるというイメージは)少しあったんですけど、気づいたらその技が出ていた感じで……決まった、みたいな感じでした」
重黒木の一本がなぜ決まったかの答えは、本人たちの言葉の中にあるような気もする。
常勝九州学院のDNAなのか、持って生まれた集中力なのか、重黒木の天性の試合勘なのか、体に染み込んだ練習の成果なのか、あるいは玉竜旗の後で飯田監督が話したように練習試合をしすぎて手の内を知りすぎたからなのか……。
では、育英が優勝するためには何が足りなかったのか。飯田監督に指導者として何かが足りないものがあったのか。勝負は時の運というだけではない何かがそこにはある気がするのだが、今はまだ言葉にまとめることができない。
■「悔いは残った。でも最後までこの仲間と思い切りできた」
春には全国選抜大会の準々決勝で奈良大附属に敗れたように、もろさも感じさせた育英高校。
直後の魁星旗大会では九州学院を破って2位となるが、この頃は全体に小粒で相手を圧倒するような強さは感じられなかった。
小柄で派手さはないのだが、高校剣道界でも屈指の勝負強さを持ち飯田監督が全幅の信頼を寄せる松澤頼みのチームという印象もあった。
しかし、それから4か月あまりが経ったこのインターハイでは、優勝してもまったくおかしくない強いチームに見えた。
準決勝までを見る限りは出場チーム中最強と言っても過言ではなかった。正直、記者が春に想像したよりもはるかに強いチームに成長していた。
また、玉竜旗大会では鎌浦など控えのメンバーも十分全国に通用することを証明したが、結局春からレギュラーは変わらなかったし、大会中に多くのチームが先鋒、次鋒あたりを試しながら交代させているのに対し、飯田監督はまったくメンバーをいじる気配すら見せなかった。その意味でも完成していた。
今大会のとくにトーナメント戦では松澤頼みという印象も感じさせなかった。今大会(団体戦のみ)で5勝1分というチーム最高の成績を残した福岡に代表されるように、チーム全体として明らかに成長していた。
その福岡は、いい試合ができたのではという質問に、堂々と「できたと思います」と答えた。
「すごい強い相手ばかりだと思って、一戦一戦集中しないと自分たちは力が出せないと思って、みんなで一つずつ勝っていこうという話をしたので、大丈夫でした。自分は新チームが始まってから飯田先生に副将というポジションで使っていただいて、難しいポジションで本当にこの大会まで何もできていなかったんですけど……。飯田先生にずっとまっすぐ真ん中を打つ剣道をしろと言われていて、その剣道がこの大会はで少しはできたので、副将としても働けたのかなと思います。(決勝は)これまで松澤がずっと一人で頑張ってきてくれたので、松澤が負けても仕方がない気持ちでした」
ただ、2位という結果に満足感はないかと尋ねると、福岡は「ないです」と言う。
一方、松澤は顔を上げてこう話した。
「予選リーグでも最初5─0でチームの雰囲気もよくて、次の試合も自分に回してくれるような展開でした。今日の団体戦も一人ひとりが気持ちの入った試合をして、今日が育英高校でできる最後の試合なのでみんなで思い切ってやろうということを言い合っていました。悔いは残ったんですけど、最後までこの仲間と思い切りできたので、自分は満足しています」
表彰式が終わると、選手や応援の父母たちによって飯田監督の大きな体が宙に舞った。そして父母たちへの挨拶を監督以下選手たちが述べる。飯田監督の目にも、松澤らの目にも一瞬光るものがあった。
「本当に辞めるんですか」と聞くと、飯田監督はこう答えた。
「こいつ(後任の監督となる浦一樹氏)がちゃんとしなかったら、また復活するかもしれないです(笑)。……やれるもんならやりたいですよ。でもあんまりもう……口だけは元気なんですけどね」