【連載⑨】インターハイで勝てなかった原因は「やっぱり私でしょうね」|飯田良平監督のラストシーズンを追う

インタビュー

言えなかったことを後悔している、あの場面での一言

インターハイの熱い戦いから1カ月半が過ぎ秋の気配が色濃くなる9月の終わりに、育英高校を訪ねた。

飯田良平監督に改めて今シーズンの戦いを振り返ってもらうとともに、今後のことも聞きたかった。

通常なら国体(今年は9月30日~10月1日)を目前にして稽古を積んでいる時期だが、インターハイの1週間後に行なわれた近畿ブロック大会で、すべて育英高校の選手で臨んだ兵庫県は敗退した。
初戦で京都府に敗れたものの、大阪府、和歌山県、奈良県に勝利、最後の滋賀県との試合で1─0でも勝てば国体出場という状況だったが、先鋒大津遼馬、次鋒阿部壮己が連敗。

中堅・榊原彬人が二本勝ちし、副将福岡錬は引き分け。大将松澤尚樹が勝って代表戦に持ち込んだものの、松澤の面に相手が胴を返した場面で、面に一本、胴に二本旗が上がった。

育英高校を訪ねた日は体育祭の予行があった日で、そのあと全校生徒の前で剣道部がインターハイ2位の表彰を受けたが、続いて行なわれた国体の壮行会で柔道部、バスケット部などが激励を受けるのに対し、全国2位の剣道部がそこに立てないということになった。

「もう充分反省ができました。勝てなかった原因は、やっぱり私でしょうね」

とインターハイについて口を開いた飯田監督。春から育英高校を追いかけてきた本シリーズの最後に、インタビュー形式で振り返ってもらうことにする。

──(記者)国体近畿ブロックは残念な結果でした。

最終戦が始まる時点で2位が和歌山、3位が大阪、滋賀は4敗だったんです。

大阪なんてもうあきらめていたと思います。

監督は浦(一樹)先生がやっていて、私は応援団と一緒に見ていたのですが、

みんなに

「滋賀は怖いぞ。勝ち負けやなしに、その試合その試合に来るから」

なんて言っていた。

そしたら大津がポーンとひき面を取られて、その後あせって行って案の定二本目を取られた。

一本取られたあとは絶対無理して行ったらいけないんです。

阿部も出小手を打たれた。

松澤が大将戦で上段の相手に攻めまくってなんとか取ったから勝ったと思ったけど、こればっかりは……。

京都には0─1で負けたけど、大阪、奈良、和歌山に勝ったので、そこで抜けたんでしょうね。

──インターハイが終わって1週間ということで、もう一度気持ちを持っていくのが難しかったのではないでしょうか。

そう思います。

それでも九州学院はちゃんと勝っていますからね。

熊本が出るんだから行かせてやりたかったです。

やっぱりインターハイ2位になって、それで気持ちが抜けてしまっているというか。

それが松澤にはなくて、松澤がずっと勝ってくれて3勝したんです。

最後も松澤に頼ってばっかりで、大津や阿部は後悔しているでしょう。

なんで先鋒が二本負け、次鋒が一本負けなのか。

先鋒次鋒があんな試合したらうまくいきません。

私と一緒に見ていた1、2年生には勉強になったと思います。

やっぱり先生の言っていることは本当だと思ったでしょうしね。

──さて、2位になったインターハイをもう一度振り返って下さい。

自分が危惧していた阿部、榊原というところがやっぱり機能しなくて、最後の最後で一番頼りにしていた松澤が、充分注意していたはずのひき面を打たれた。

何度も見直してみたら、重黒木君(九州学院)の面は崩しにかかってからのひき面でした。

阿部や榊原は気が弱いし、甘い。一方ですぐ調子に乗る。

その調子が落ちたらとことん悩むというような、人間の弱さを全部持っている子です。

今まで40年いろいろな子を見てきていますから、性格はよく分かっていたつもりだったのですが、では分かっていてどれだけ指導者としてあの子たちを変えることができたのか、手助けできたのか、バックアップしてあげられたのか。

成長させることができずに、ただ3年間やってきて、試合の場にパッと放り出しただけじゃなかったのかと。

まだあの子たちを信用しきれてなかったんですね。

信用してないのにもっと手を差し伸べることができなかった、私の指導が足りなかったというのが反省点です。

逆に今考えたら、その中であの子たちはよく頑張ったのかなとも思います。

一方、松澤と福岡の後ろ2人は大丈夫ということを僕はずっと言っていたんです。

福岡も根本的には阿部や榊原と同じように甘いところがあって、去年の10月の黒潮旗では逃げて打たれて負け、それからずっとそんな状態が続いた。

去年の玉竜旗やインターハイを経験した子が、なぜ新チームになってこんなにダメなのかと思いながらも、何とか福岡をちゃんとさせんことにはと思っていました。

後ろ2人は安定させないといけないから、怒るのは前の選手だけにしておいて、福岡と松澤はおだてると言ったらおかしいけど

「信じてるぞ」

「お前たちは良くなっているぞ」

というような言葉をかけていました。

でも、結局そういう言葉を投げかけなければならなかったのは、阿部や榊原じゃなかったのかなとも思います。

──福岡選手はインターハイでは一皮むけた素晴らしい内容でした。

そう。よかったです。

本当に僕のしてほしいようにできていた。

見ていて、ああいいとこ打ったなっていうところを捨て切って打てていました。

とくに武蔵君(明豊・準々決勝)には分が悪く、全国選抜ではひき面を打とうとして合わされて負けていましたし、富山君(鹿児島商業・トーナメント1回戦)や原君(東福岡・準決勝)とも試合しているけど引き分けがいいところだったんです。

小川君(九州学院・決勝)にはだいたい跳び込み面を打たれて負けることが多かった。

それが玉竜旗でもきっちりやっていましたし、近畿大会の個人戦も決勝で(奈良大附属の根本選手に)負けたけど、内容的には何一つ見劣りすることもなかった。

そして松澤に関しても、信じすぎたというわけではないのですが、私の指導が足りなかったと今は思います。

重黒木君に胴を打たれて負けた玉竜旗に関しては

「オレは重黒木君の胴よりお前の面の方が良かったと思う。3人の審判の先生が面を取るか胴を取るかで胴に上げたんだから胴がよかったんだろう。でもオレはお前の技を出したところはよかったと思っている」

と言っていたんです。

もちろん7月の29日に負けたことに関してきつく叱って、そこでつぶれたら困るということもありました。

8月5日にインターハイの会場で磐田東、三重高校、敦賀、奈良大附属などが集まって練習試合をしたんですが、そのときも松澤は全然悪くなかった。

魁星旗や全国選抜のときは、何とか松澤に回してという展開だったのが、インターハイではある程度みんな力がついてきて松澤に負担がかかっていなかったので、最後になったら松澤で大丈夫と思っていたんです。

インターハイ表彰式を終えて保護者への挨拶では、飯田監督にも松澤にも目に光るものがあった

だから九州学院との決勝で松澤が出ていく前に、一切余計なことは言っていない。

覚えてないんですけど、たぶん

「まかせた」

としか言っていません。

福岡が小川君にひき面を決めてこちらに流れがあると思ったから、余計なことを言わない方がいいかなとも思いましたね。

ほとんど勝っていなかった鹿児島商業に勝ち、いつも勝ったり負けたりで大接戦の明豊に勝ち、東福岡には新しい道場で寝泊まりしての合宿にも行って負けてばっかりだったのに4─0で勝って、ああこれはうちに本当に流れがあると思ったので、流れをつぶしたらいけないと思った。

それで選手まかせにしてしまったんです。

確かに、松澤と福岡には

「お前たちはいろんな経験を積んできたのだから、自分のありのまま、感じるまま試合をすればいい」

とずっと言ってきて、それが結果的にうまく行ってきたのです。

しかし、最後の最後あそこの場面では、打たれるとすればひき面だと、それも離れ際のひき面だけではなく、崩して来るひき面もあるぞということを松澤に言っておけばよかったと今は思うんです。

前では勝負してこないだろうということは私も思っていたし、松澤も分かっていた。

しかしひき面でも、あのひき面もあるということを私が指摘してあげることはできなかった。それが一番の後悔です。

このチームになった最初の頃は、練習試合でつばぜり合いから崩してのひき面も松澤は重黒木君に打たれていました。

魁星旗では離れ際のひき面に気をつけろということを言っていて、逆にひき面を決めて重黒木君に勝った。

玉竜旗で対戦したときはひき面を重黒木君は打ってきませんでした。

しかし、5月に熊本の玉名市で何校か集まって練習試合をしたのですが、そのときは隠していたのか調子が悪かったのか。

よその選手のことで失礼ですけど、全国選抜で優勝し、魁星旗で敗れた後、重黒木君はちょっと全体のバランスが良くなくて苦しんでいたと思います。

玉竜旗でうちと戦う前までの試合でもそんなにピリッとしたところはなかったように思いました。

ピークをずっと保てる選手ってなかなかいません。それだけにインターハイのあの場面で、あのひき技を出したというのは重黒木君の天性の勝負勘というものを感じます。

松澤も口ではひき面を警戒していたと言うけれど、離れ際のひき面は警戒していても、崩して打つあのひき面は警戒してなかったと思います。

だからやっぱりあそこは隙だったと思います。

自分では気を抜いていたわけではないというけれど、気を抜いていなくても対応しきれなかったんだから、その技が来ると予測していなかったということです。

張っていても一瞬で崩されて、虚をつかれた。

本当に打つはずはないと思いこんでいたところを、虚をついて一瞬で崩された。

「つばぜり合いから崩してのひき面もあるぞ」

と言ってあげられなかったのが私のミスです。

監督としては一番注意してあげなければいけないところを忘れていました。

何回も勝っている米田(敏郎)先生(九州学院監督)と、もう一つ勝ちきれない監督の差がそこかなと思います。

阿部や榊原に対してもっと確実なものを教えていなかった、松澤には大事なところで言うべきことを言ってあげられなかったというのが反省点ですね。

──玉竜旗で九州学院に敗れたあと、練習試合をしすぎたと言っていましたが、それはインターハイでも影響しましたか?

しすぎたというよりも、それによって重黒木君をまた成長させたかも知れないと思います。

練習試合では重黒木君は苦しんでいた印象があったので、九州学院という負けられないチームが負けたとき、何か思うところはあったでしょうね。

それが九学の大将として背負っているものであり、我々のようなチャレンジャー、勝ちたいとか、勝てるかもしれないと思っている者と、勝たなあかんと思っている者の違いでしょう。

私たちが兵庫県では何があっても絶対負けへんぞと思ってやっている。

同じことを全国大会で思ってやっているのが九学なのかなと、そう思いますね。九州学院の道場へ行ったときに感じたことですが、2位や3位の賞状は大切にされていない。

2位はもう負けなんですね。

それは米田先生の激しさです。

彼は厳しい。ダメなものはダメです。

私とは違って勝負師です。

玉竜旗では先鋒次鋒で使った選手が、そこでダメだったらインターハイでは出ていない。

補欠にも入れていないということもありますよね。そのあたりが私には真似できません。

インターハイでは最後の最後に手が届くところに来たのに、本当に監督の至らなさ加減を暴露しました。

もったいなかったですね、本当にもったいなかったと思います。

トーナメントに入ってからの3試合は素晴らしい内容だった

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