【連載①】八段になってから一本になることが増えた | 古川和男範士の突き技指南

古川和男範士の突き技指南
平成27年に全日本選抜剣道八段大会で優勝を果たした古川和男範士
インタビュー

突き技を身につけたい剣士必見!

平成27年に全日本選抜剣道八段大会で優勝を果たした古川和男範士。

その大会でも、2年後の同じ大会でも突き技を一本にしていた。

試合では決まり技になることが少なく、苦手とする剣士も多い突き技。

そんな中、古川範士は若い頃から現在に至るまで得意技としていた印象があるが、本人によれば若い頃は外してばかりで、八段になってから一本になることが増えたという。

古川範士が語る突き技の理論に従えば、それも当然の帰結であることが納得できる。

突き技のコツ、どうやって身につけるか、どういう場面でどう使うか、など、突きの名手が自らの経験を踏まえ解説する。

■突き技との出会い

私が剣道を始めたのは小学校6年生の終わり頃からで、佐世保刑務所(長崎県)の檜物実一先生という七段の方に基本から教わりました。その檜物先生がよく片手突きをしていたのが目に焼き付いていました。小学生、中学生当時は当然突きはできませんでしたが、それが初めての突きとの出会いです。

中学3年生のときに長崎国体があり、その強化合宿が佐世保で開かれた際に、範士九段になられた小島主先生にお話を聞く機会がありました。「片手突きのとき、左手の掌に柄頭を入れて突くと威力が増す」と小島先生が話されたのが印象に残り、家にたまたまミカンの木があったので、それを突く練習をしていました。

まだ中学生ですが、子どもながらにこうやって突くんだなと思ってやっていました。現在でも片手突きのときは掌で柄頭を包むように竹刀を持っています。それによって突きに威力が増すので、片手突きで相手をひっくり返したこともありますよ。

小島範士に学んだ通り、竹刀を持って突く

小島範士に学んだ通り、現在でも片手突きのときは手の内を変えて、このように左拳で柄頭を包み込むようにして竹刀を持って突く

私は突きが得意だと言われるけれども、ずっと得意だったわけではないんです。

大学時代などは、突き技を出して失敗ばかりしていました。一本取った後に格好つけて突きに行って面を取られ「バカだな」ってみんなに言われていました。

東海大学に谷口安則先生(のち範士九段)が指導に来られたことがあります。

松原輝幸先生(のち範士八段)の甥が大学にいた関係で、松原先生とご一緒に谷口先生が来られたのですが、そのときの谷口先生の突きが凄かった。学生はみんな突かれて吹っ飛んでいました。谷口先生の突きは強く印象に残りました。

また、大学4年のときに警視庁に出稽古に行きました。昔の警視庁の道場のすぐ近くに西山道場という道場があり、そこに1週間ぐらい寝泊まりして朝稽古からずっと警視庁に通ったんです。

そこでも私は突きを突いていたので、10倍にして突きを返されました。当時の警視庁の大将が渡邊哲也先生、副将が千葉仁先生でしたが、渡邊先生の裏から入っての諸手突きが素晴らしかった。これは凄い、覚えようと思って、それからずいぶん真似した覚えがあります。

自分ではそのときそんなに突きを出していた記憶はなかったのですが、後に警視庁対学生の試合があったとき、警視庁の先生方が「古川は突きが来るから気をつけろ」と言っていたのを覚えています。

同年代では亀井徹先生(範士八段)が、昔、七段の頃はよく突いていましたね。

全日本東西対抗でお互いに突いて私が負けた試合がありました。八段になってから突いているのは見たことないですけどね。

一昨年でしたか、亀井先生と稽古したときになかなか打てないから突いたら、その後で分かれるときに竹刀を吹っ飛ばされて……(笑)。見ていた人たちがあの同級生二人は何をやってるんだって笑っていました。

西川清紀先生(範士八段)も突いていましたよね。確か警察大会で突きを決めている写真を見た覚えがあります。少し年齢が上の方では山田博徳先生(範士八段)が突きがうまかったですね。

もっと上では小林三留先生(範士八段)。表からの片手突きがそのまま伸びてくるんです。私などは握力がないので、表から片手突きに行ったらはじかれてしまいます。

■八段になってから突きが決まるようになった

平成27年の全日本選抜八段優勝大会、突きを決める

平成27年の全日本選抜八段優勝大会、準々決勝で松本政司選手(香川)に対し表から突きを決める

若い頃は突き技なんてほとんど試合では決まっていません。それが八段になってから決まることが多くなりましたね。

覚えているだけで、八段選抜(全日本選抜剣道八段優勝大会)で三本か四本、国体で一本、東西対抗(全日本東西対抗剣道大会)で二本ぐらいあります。

平成27年に八段選抜で優勝したとき、(準々決勝で)松本(政司)先生に突いたのが一番きれいな突きだったかもしれません。突くまでの入り方、突いたあとの残心も含めてです。

その少し前、平成24年に国体の3位決定戦で大将戦になり、兵庫の川原(正紀)先生に突きで勝ったのですが、後でビデオを見たら突いたあとの残心がよろしくない。

自分ではそんなことをしたつもりはないのですが、相手に対する尊敬を欠くような、横着な心が出た残心でした。人の姿を見て残心がきちんとしていないと思うことはありますが、自分ではわからなかった。後でビデオを見るのも勉強だなと思いました。

松本先生に対する突きは、残心もきちんとしていました。突きに行く前は少し悩みました。

一本先に取っていたし、そこで突いていって外れて面でも打たれたら……松本先生は8歳も年齢が違うし試合巧者で強いですから、取り返されたらなかなか取れない。我慢しなければいけないと思いました。

でも気で圧していたし、攻めたら剣先がスッ、スッと開くので、これは行けるんじゃないか、と。そう思った瞬間に自分の体が動いて突いていました。基本打ちのような突きでした。あんなにきれいに突けることは、これからもそうないのではないかと思います。

平成29年の八段選抜(1回戦)で、清田(高浩)先生に決めた突きは、私が裏から諸手突きに行こうとしたところで、裏から行ったから剣先が下がって清田先生は小手が見えたと思います。

誘ったわけではないですが、それで清田先生が小手に出ようとしたところに私が突いたので、カウンターのような形になりました。

その次の試合で船津(晋治)先生にも突きで勝ちましたが、このときは中心を攻めて、中心を取り返してくるところを裏から突きました。種類は違いますが、これもいい突きだったと思っています。

平成29年の全日本選抜八段優勝大会、突きを決める

平成29年の全日本選抜八段優勝大会、1回戦で清田高浩選手(福岡)が小手に来るところに突きを決める

私の突きの種類は、片手突きは裏から、諸手突きは表と裏両方です。表から突いたり裏から突いたりできるのは、相手は古川には突きがあると思っているので、それを逆に利用するんです。

表が突けるから裏が突けるし、裏が突けると表も突けるんです。裏から突くようになったのは最近で、若い頃は小手を攻めての表からの突きばかりでした。

今遣っている裏からの突きは、中心を取って、相手が怖がって中心を取り返しに来る。その取り返しに来るところを裏から突くというものです。

しかし、突こう突こうと思って試合をしているわけではないんです。なぜなら突きが一番危険だからです。出ばな面やすり上げ面を狙われれば打たれますし、決まらなければそこに面を打たれる。そうしたらバカだなって言われる(笑)。

とくに突きばかり突いている私がそれで失敗したらバカと言われます。最近は決まっているから何も言われませんが。

基本的には私の剣道は面だと思っています。相手が動くか動かないかのところをとらえる出ばな面が私の武器です。だから私は小手面を打ちません。

小手を打って、相手が剣先を開くのでとっさに面、ということはありますが、最初から小手面と決めて打つことはないです。それは出ばな面が怖いからです。同じ理由で突きも怖いんです。自分が出ばな面を打つからこそ怖い。突きに行って出ばな面を打たれたら餌食です。すり上げ面も、ものの見事に打たれます。

しかし、攻め勝って入れば突きが決まる。最近は攻め勝っているときに出しているから突きが決まっているんです。八段になってからの方がその確率が数段高くなっています。

古川和男(ふるかわかずお)
昭和29年5月生まれ。範士八段。
長崎県佐世保市に生まれ、西海学園高校から東海大学に進学。
卒業後、北海道の東海大学付属第四高校(現東海大学付属札幌高校)に教員として赴任する。
全日本選手権大会2位、世界選手権大会個人2位など選手として実績を残し、東海大学第四高校では栄花直輝選手ら多くの名剣士を育てた。
全日本選抜八段大会に12回出場し平成27年に優勝、2位、3位各1回などの戦績を収める。
取材日=平成30年3月19日 写真=窪田正仁

【連載②】試合運びで主導権を握るという意味で有効 | 古川和男範士の突き技指南

2018.04.26